今回の東日本大震災の報道においては、随分と「想定外の・・・」を耳にした。マグニテュード9という地震の規模もそうだし、その地震で引き起こされた10メートルの防波堤を乗り越えるほどの津波もそうだった。つまり、最大規模の地震をマグニテュード8.4あたりに「想定」し津波についても最高10メートル程度と「想定」することとしたのだ。一般的な感覚からすると、「想定外」とは、あたかも「神のみぞ知る」といった、「人知を遥かに超えるような」程度や姿を想い描くことになる。しかし、そうした時に私たちは、一方で、「人知では計り知れないほどの途轍もない状態」を想い描くこともできる。「月影さやかに きらめく銀河 ああその星影 究めもゆかん 人知は果てなく 無窮のおちに・・・」の歌詞にみるように。「宇宙の果て」さえも想い描いてしまう人知において、「想定外」とはどれ程のことなのか。
もともと「想定」ということの意味が「ある一定の情況や条件を仮に想い描くこと」(『広辞苑』)からすると、「想定外」とは、「ある一定の情況や条件を仮に想い描くことが出来なかった」ことになる。しかし今般盛んに使われた「想定外」がイメージさせることは、これまでの「データ」の中から、「線引き」をして設定した数値を超えられてしまったとする意味での「想定外」といえる。これは本来の意味での「想定外」とは違うのではないか。
実は、前回紹介した河田惠昭『津波災害』は、今般のような「巨大津波」が起こりうることに対して十分な警告を発していたのである。もともと、河田氏がこの本を著したきっかけが、2010年2月27日に発生したチリ沖地震津波だったという。日本では、約168万人を対象に避難指示・避難勧告が出されたが、実際に非難した人は3.8%の約6.4万人に過ぎなかった。とくに、津波常襲地帯の北海道、青森、岩手、宮城、三重、和歌山、徳島、高知の各県の沿岸市町村でも、対象人口約74万人中、5.1%の約3.8万人が避難したに過ぎない。「こんなことではとんでもないことになる」現実が、この本の出版の3ヶ月も満たないうちに起こってしまったのである。
そう言えば、4月2-3日に郷里・石巻でタクシーに乗ったとき、その運転手さんがしみじみと語ってくれた。「去年2がづのツィリおぎずすんのとぎも、このあだりのひどだづは、あんまり避難すねがったんだよねー。こんども似だようなものだったんだべねー。生死の分がれは、そんなどごにあったんだねー。」と。河田氏の本には、少なくとも、1896年の明治三陸大津波で死者が22,000人に達した事実、それも津波地震(地震の揺れが小さいにもかかわらず、津波が非常に大きくなる地震)だったこと、そして最大30メートルを超える津波を伴ったことなどの記述が十分になされているのだ。決して「想定外」ではない事実がそこにはあった。
今回壊滅的な被害を受けた、牡鹿半島北側付け根にあたる女川に近い谷川浜に住む私の父方の遠い親戚の一蔵・朝子夫婦は、あの日、地震が止んだ後、津波警報時に家にいてやり過ごそうとしていたようである。朝子さんの遺体は、浜から6キロ程沖合いの江島の近くで発見されたという。一蔵さんの方はまだ不明だ。痛ましいという想いとともに残念さが込み上げてくる。 mm生