[ 2025年05月 ] の記事一覧

2012.09.05

生活と学問のつながり

こんにちは。
昨日久しぶりにお会いした先生方から
「随分(身体を)絞られたのですか?」と聞かれたma34です。

ダイエットを意識的にしたわけではなく、
日々の子育てで栄養をどんどん「絞られた」「搾取された」だけです。
もうすこしバランスよく、美しく絞りたいと思う今日この頃です。

さて。
毎週、ブログに書くネタを探しながら生きておりますが
今週は良い所にネタが転がっていました。

長男の宿題で出た算数の文章題が、
あまりにも現実ばなれしたものだったのでした。

例:「まさよさんは、昨日ケーキを22個食べました。
   今日もケーキを21個食べました。
   あわせて何個食べましたか。」

長男:「食べ過ぎやん!ふとるで!」

例2:「よしえさんは、十円玉を58個持っていました。
   今日買い物で、十円玉を22個使いました。
   十円玉は何個になりましたか。」

長男:「そんなに十円玉をレジで出したら、怒られるやろなー」

長男は一つ一つにそんな風にツッコミを入れながらも
普通に立式して答えを出していましたが、
(関西育ちだからか!?)
何もおかしいと思わずに、普通に計算して、普通に答えを出す子どもも
きっと多いと思います。

2008年に告示され、現在施行されている新しい学習指導要領では、
基礎的な学力の定着はもちろんのこと、
それが生活、現実的な文脈(基礎的な知識・能力が複雑に絡まっている)においても
基礎的な知識・能力が「活用」されるようになることを目指している(はず)です。

しかしながら、実態は・・・
宿題の文章題をみながら、これではいけないのにな・・・と
「ツッコミ」を入れている長男の方が、ちゃんとしているのではないかと
(少々親馬鹿も入っておりますが)
そんな風に感じておりました。

基礎的な力をつけることももちろん大切です。
野球などのスポーツで考えてみれば、「素振り」練習の大切さは皆さんご存知の通りですよね。
でも、それが「実践」を意識した素振りではなく、
単なる素振りの自動化だけでは、複雑な要素が絡まる「実践」では
結局太刀打ちできないのですよね。
だからこそ、たとえ基礎的な素振りの練習であっても、
「実践」を意識して練習をすることが求められるのではないでしょうか。

算数でも、理科でも英語でも、そうした基礎的な知識・能力というものだけがひとり歩きしがちです。
現実的な文脈とかけ離れていても、そのことすらも無自覚に
ただ公式を覚えて、小手先で使えるようになればよいという教え方、考え方が
依然としてあるのだろうな、と感じました。

教える方がそうしたことに自覚的になり、
子どもたちも現実生活と学問をつなげて考えられるような、
そんな教育のあり方を、常に考えていきたいと思います。

ma34.

2012.09.04

キャリアを考える(3)

さて、連続物も、私としては珍しく3回目。

我ながら、いつ完結するのでしょう??
ずっとキャリアを考えるシリーズが続いたりして(笑

それはさておき、前回「夢」を持つことまで話が進みました。

そこで、そこから話を始めましょう。
とは言っても、1週間おきに書いていると、どこまで書いたのか、
忘れがちになっているのですが。。。

さて、夢の次に大切なのは、
「自分を知ること」、です。

みんな自分のことは自分が一番知っている、と思うかもしれません。
でも、ちょっと待ってください。
自分と言うのは、どうやってみられているのでしょうか?





自分は、自己とも言いますが、
他者がいて、
初めて自己が生まれます。

要は、他の人がいなければ、
自分と言う存在をはっきりさせる必要がない、
ということです。

自己を認識する時に、

何ができる、
何ができない、
こんな性格だ、

ということを考えると思います。
これらは全て、他の人との違いによって理解されます。
つまり、比較対象をすることによって初めて、
自分の存在を認めることができる、ということです。

ただ、注意しなければならないのは、
自分の生きている空間によって、
この比較の質が変わることです。

周りにできる人が多ければ、自分はできない、ということになりますし、
逆にできない人が多ければ、自分はできる、ということとなっていきます。

そのため、井の中の蛙大海を知らず、にならないように、
自分を知るためにも多くの経験をする必要があります。

そして自分で自分を整理して、
人に自分のことを伝えられるようになること、
これが二番目に大切なことです。

長くなってきたので、次に続きますが、
次は、人に伝える、ということで話を進めていきたいと思います。

ではでは。

PS:スポ健ジャージ、あまり売れていません。。。

2012.09.03

『スポーツ健康コミュニティ』の展開力

大学はまだ授業が始まっていませんが、各種の打ち合わせ、会議は夏休み中もあります。そのうちの一つに、BKCの新体育施設に関わる会議がありました。その中の資料には、先日も紹介したように、建築都市デザイン学科の学生たちが、どの場所に、どのように施設を配置するか?というゾーニングの検討を行ったものでした。学生生目線で30のアイデアを出し、類型化、組み合わせを検討して絞り込み、さらに総合判断を出すために7つの評価項目(評価軸)を決めて評価、考察してくれました。言葉で書くと簡単なようですが、多くの学生が夏休み返上でこの作業に取り組んできました。もちろん、武田先生をはじめとする先生、スタッフのサポートのもとですが、キャンパスづくりへの熱い想いで作業をしてくれました。そのような大切な資料にもとづいて議論をさせてもらいました。

 

評価軸には、新体育施設ならびにスポーツゾーンのコンセプトが盛り込まれています。もちろん、これも学園全体のコンセプト、BKCキャンパスコンセプトにもとづいて充分議論したものです。その一つに、「スポーツ健康コミュニティ」というコンセプトが盛り込まれています。これはスポーツ、健康づくりを柱として、大学・地域・市民によるコミュニティを形成して、安心・安全なまちづくり、社会創生、スポーツ教育の機能強化、スポーツ振興と競技力向上、健康づくり・健康な街づくりへ展開していくことをイメージしています。この「スポーツ健康コミュニティ」というコンセプトの象徴となる『新体育館』設置へと進んでいくでしょう。評価軸に、『スポーツ健康コミュニティの展開力』というキーワードを盛り込んだ体育施設づくりは、全国でも例がないでしょう。

 

今回の会議には、関わってくれた学生たちも参加して、それぞれの想いを語ってくれました。その中の一人の学生の発言が核心を突いていました。「教職員の先生方がこんなにも真剣に学生のこと、キャンパスのことを考えてくれていることを嬉しく思います。是非、キャンパスイメージに合うような施設になりますよう願っています。」

 

私もそうなるように願っています。

 

<<今週のちょっと、もっと、ほっとな話>>

大塚先生によるインテグレーションコアとラルカディアの廊下を使った中学生のハードル実験がありました。103mの廊下は、実験に有効活用されています。

 

【忠】

 

2012.09.02

スポーツの政治的利用、スポーツの純粋性

 朝日新聞830日付け、社説余滴欄は、担当者稲垣氏の署名入りで、「五輪は政治の下僕じゃない」という短記事を掲載しました。すでに周知のように、ロンドン五輪サッカー男子3位決定戦、日本と韓国のライバル対決に際して、その日の韓国大統領の竹島(韓国名・独島)への上陸、試合後に勝利した韓国選手の一人が「同島の領有に関する政治的主張」が書かれた紙を掲げランしたことから、政治的対立の延長のようなとげとげしい印象だけが残ったようです。

けれども、現地で取材していて、それとは違う空気を感じていたことを、記者は本記事に書いています。「試合後、選手たちは歩み寄って健闘をたたえあい、最近までJリーグにいた韓国選手はかつてのチームメートとユニフォームを交換していた。双方のサポーターも拍手を送った。」そして、韓国サポーターの弁、「五輪の4強に韓国と日本が進んだこと自体、すばらしい」を紹介しています。

 韓国サッカー協会が五輪精神に照らして「二度とこういうことがないようにする」との文書を日本協会あてに送ったのが、韓国内で「謝罪文だ」と批判され、協会会長が国会で釈明することとなった経緯を、「残念というほかはない。」と結んでいます。

実際、「サッカーの本場」ヨーロッパのファンが認める、質の高いサッカーや個人のプレイ技術を、今大会中、両チームの選手は存分に発揮していました。五輪憲章もさることながら、サッカーファンが求める、本気での「サッカー対決」の結末とは、現地で感じるものが大切にされなければならないと、わたくしもつくづく感じます。

 

五輪競技大会や世界選手権で、自国の国旗を頭上に掲げ、満面に笑みを、全身に達成感を露わにして優勝者や準優勝者がウィニング・ランを行う姿は、今や当たり前の光景になっています。また、メダリストが表彰式後に家族、恩師、関係者などに駆け寄り、握手や抱擁とともに、獲得したメダルをその人達の首に掛けてあげる姿も、しばしば見かけました。これらは、日本人選手だけでなく世界各国共通の光景となっており、したがって「スポーツの現在」の典型的姿の1つだとも言えます。

 

 「絶対に負けられない」、「必ずや勝ちたい」、「様々に世話になった人達を思って戦いたい」、「国内の大会や代表選で落ちた他の選手の思いを背負って戦いたい」、これらは大会中にインタビューや記事を通して聞いた、選手たちの試合前、試合後の言葉です。

 ここには、スポーツの最高峰の試合に向けてのそれまでの準備の途方もない量と質、それとともに競争の激烈さが背後にあると想像されます。そしてそのことが、競技場やフィールド、コートで筋書きのない多くのドラマを生み出していることは明らかです。

 

 そのような思いで多くの人が注目すればするほど、今まさに「フィールドやコートの中で、競技や運動目的で対立・対戦」しているプレイヤー、チームメンバーの人たちとは異なったレベルで、「スポーツのもつチカラ」に熱い視線を送っている人たちがいます。

 直接的なファンやサポーターでなく、「間接的なファン」とも言える「政治とビジネス」がそれに当たると考えられます。もはや、「間接的」あるいは「サポート・バット・ノーコントロール」という素朴な時代ではなくなっています。

我が国の東北大震災後に、多くのスポーツ選手が悩んだことを語っていました。「こんなに大変な時期、ボールを投げたり蹴ったりすることを自分たちがやっていて、いいのだろうか?」と自問したことです。また、「頑張った良い試合を観てもらえること」「実際に現地でスポーツを通して直接ふれあうこと」がこれほど多くの人たちに受け入れられかつ励ましになっている様子について、新たな発見と自分たちの行っているスポーツの重要さを再認識したことでした。

 

 フィールドやコート周辺でサポーターとの交流を通して選手やコーチが感じていることをはるかに超えて、グローバルな時代においては、「政治」と「ビジネス」への利用価値の厳しい見定めがスポーツに対しても行われています。それをスポーツの内部関係者(特にプレイヤー)が「熟慮」「配慮」を欠いて一足飛びに「3つか4つの水準」を飛び越えて「自己アッピール」してしまうと、今回のような事件は容易に出現してしまうと、わたくしは仮定します。

 国を代表するから「負けられない、あるいは恥ずかしい試合は出来ない」と思い、勝利すれば「国旗をもって代表した国をアッピールし、様々な水準のサポートへの感謝を表す」、これらはスポーツ界として確立され、現在では、誰もが認めあう行為です。

 以前に書いたブログ内容とも関連しますが、スポーツの世界で「純粋で継承・発展させるもの」があるならば、政治やビジネスから「下僕」にされない方策が必要と思われます。多くの五輪代表選手が、自分の行っている競技が「もっと多くの人に注目され、スポンサーや公的な資金が多く獲得されれば」、普及と高度化(スポーツの発展の大きな2つの柱)につながることを訴えています。見方を逆にすれば、スポーツマンの教育という観点からは、スポーツの価値を伝えることができかつ安易に利用されない「知恵と工夫」に支えられた人材が、長期的視野から排出されることが大切になっている、と冒頭記事は述べようとしたのかも知れません。

 

【善】

 

 

2012.09.01

9月になりました

夏休みも半分を過ぎ、今日から9月です。授業のない夏休み期間は、学生にとっても教員にとっても授業期間中とは時間の過ごし方が大きく変わります。スポーツ健康科学部の学生の中でも、部活動で合宿三昧の人、インターンシップに行く人、アルバイトなどを集中的に行う人、旅行や帰省をする人・・・など様々です。ちなみに私自身の学生の頃を振り返ると、夏休みといっても普段とそれほど変化はなく、日々の練習と週4日のウエイトトレーニングの毎日でした。では、それ以外に何をやったかと言うと、残念ながらあまり何も浮かんできません。。。


1つのことに大学4年間必死に打ち込んだことは、自分の大きな財産になっています。ただ、もう少しプラスαで何か出来たんじゃないか・・・今になって考えることがあります。スポーツ健康科学部の皆さんにはまず何か1つのことを打ち込んで欲しい、そしてその上で、合間の時間を活用してもう1つ何かに挑戦して欲しいと常々思っています。授業開始までの残り約3週間、充実した時間を過ごしましょう。

GOTO


2012.08.31

百日紅の花から

 暑い夏に木々が大きく根を張り、枝葉を大きく茂らせ、焼けつくような日差しの猛(残)暑の中でも、キャンパス内の樹木の木陰は一時の涼を与えてくれています。そのような中でも夏を代表する花木でもある百日紅の赤い花(白い花でなく)を見るにつけ、暑さに負けるな、暑さに負けず鍛え、学べよ!といった思いに駆られます。セントラルアークの隅にある百日紅は学生達のように、成長途中でこれからといった感じがしますが、この時期キャンパス内は花が少ないため、余計に気をひかれます。

 夏休みも約半分を過ぎようとしていますが、院生は「この夏休みを活かさねば!」と実験に励んでいます。夏から秋にかけては様々な学会が開催されます。先日体育学会が終わりましたが、今度はスポーツ心理学会、さらに海外の学会発表と意欲的に取り組んでいます。立命館大学スポーツ健康科学の若き担い手.頑張れ!(老ブロガー・ハル)。

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2012.08.30

「筋血管の若返りに関する研究」に関するこれまでの経過

Hamaです。

そもそもこの研究を始めたきっかけは、運動を継続的に行うと、からだに様々な良い影響が出ますが、逆にからだを動かさないとどうなるか?と言うことでした。

 

もちろん入院したり、骨折したりすると体を動かさなくなって、からだの機能に様々な悪い影響が出ます。

でも、急に入院する前や骨折する前に、正常な状態を測定することが難しいですね。

つまり、入院した人や骨折した人のデータはとることが出来ますが、入院前からどのくらい機能低下したかは、なかなか測定することが難しいのです。

たくさんの人を測定しておいて、その人たちが入院したり、骨折したりするのをまつのも不謹慎ですし。

 

そこで、実験的に活動度を低下させて、その時の体の機能の低下を観察する方法が用いられているのです。

その方法の一つが、上肢のギプス固定実験です。ギプス固定3週間行いますと、固定後には、握力が1520%程度、筋持久力が15%程度、筋有酸素能力が1520%程度低下します。筋の大きさは変わりませんでした。固定をやめた後の回復もきちんと観察していまして、だいたい1週間程度で、筋の機能は回復します。





2012.08.29

手をかけることと手を離すことのバランスが難しい。

おはようございます。ma34です。

昨日は立命館大学衣笠キャンパスで行われている(8月27-29日)
「日本レメディアル教育学会」の記念講演を聞きにいく時間がありました。

レメディアル教育とは、簡単にいえば、
高校までの学びと大学での学びをうまく接続するために、
大学で必要とされる基礎的な知識・スキル、学び方を身につけることを目的とした教育です。
主に1回生(初年時)に行う導入教育、補充的指導です。

今年度が第8回ということで、まだ新しい学会といえます。
大学に入学してくる学生の多様な能力、ニーズに対応する事が迫られている近年の大学教育の状況を表しているのですね。

記念講演では、昨年度まで京都市立堀川高等学校(一つの公立高校にすぎなかった学校が、東大をはじめとする大学に多くの進学者を出したことから「奇跡の学校」とも呼ばれました)の校長先生をつとめ、堀川高校のそうした大躍進の立役者である、荒瀬克己先生がお話されました。





タイトルは「高大接続とキャリア教育」。




これまで高校と大学は、文科省においても担当部局が異なり、その間の連携はほとんど行われていなかったということです。
それが、近年レメディアル教育への注目・ニーズにもうかがえるように、
高大連携、高大接続の必要性が叫ばれるようになり、やっとのことで文科省でも高大接続に関する分科会が設置されたということでした。

私自身、基礎演習・研究入門を担当するなかで、
高等学校での学びと大学での学びをうまく連携・接続する重要性、そしてむずかしさを感じていましたので、興味深く聞いておりました。

大学での学びに耐えられるだけの知識・スキルはもちろんのこと、
学び方や学習意欲をいかに高校までの学びの中で身につけ、育成していくのかが課題だと感じました。
そして1回生の基礎演習でも、そうした点を意識していかなくてはならないと改めて感じました。


ただ、実はもっとも印象にのこったのは、荒瀬先生がおっしゃった次のようなことです。
(文言は赤沢が解釈しなおしたもので、実際とは異なります)

「高校は、これまで生徒の多様なニーズに対応してきたのにもかかわらず、
  さまざまな課題が依然として出てきている」
といわれるが、そうではない。
「多様なニーズに細かく(手厚すぎるほどに)対応してきた『から』、  
  課題が増えていったのである

もちろん多様なニーズを踏まえ、生徒や学生が持つ学習する「権利」を保障しなければならないと私も思います。

けれども、確かに、生徒や学生が「自分で問題に直面し、『自力で』解決させたほうがよい」場面や状況についても、「手厚すぎるほどに」「先回りして」ヘルプしてしまうことが
果たしてよいことなのだろうか、と私も疑問に思ったわけです。

しかも、ヘルプする方はそれが「良いこと」だと思ってやっているわけなのです。

ニーズに対して丁寧に応えること、積極的にサポートすることも大切。
でも、あえて手を出さずに本人が試行錯誤しながら経験を積み重ね、達成できるようになることこそ、
求められるべき力なのではないか・・・と
その「バランス」が極めて難しい課題だと感じています。


こんなことを、2学期が始まった長男の小学校の「夏休み作品展」を見に行って考えていました。
明らかに親の手が入った、すばらしい作品のなかで、
自分の息子の作品を見て、「もうすこし手をかけてあげたらよかった・・」とちょっと反省した私でした。

2012.08.28

キャリアを考える(2)

さて、そろそろ小中高の学校では、夏休みが終わりますが、
大学ではまだまだ休みが続いています。

この休みの間に、学生のみんなは、
課外活動やアルバイト、海外での体験など、
色んな長い時間がなければできないような体験をしています。

それはさておき、キャリアを考えるの2回目です。

前回、キャリアとはライフキャリアとワークキャリアがあって、
人生どう過ごすのか考えよう!という話をしたと思います。

今回は、どうすれば、より良い人生が送れるのか、
いや、そんなたいそうなことではなくて、心がけていて欲しいこと、
について書いていきます。




人生で心がけていて欲しい、ということはどんなことかと言うと、

一つは「夢」を持つこと。

夢は、なりたい自分、と言っても良いですが、
こんなことをしたい、という強い想いです。

その時に注意してほしいのは、職業は夢にはならない、ということです。
例えば「高校の先生になりたい!」と思っている人もいると思いますが、
ただ高校の先生になる、ということですと、
高校の先生になったら夢が達成されてしまって、それで目標を失ってしまいます。

それよりも、「どんな」高校の先生になりたいのか、を意識する方が大切です。
そして、自分の思っている先生の姿に近づいていけているのか、
を時間が経つたびに確認していって、
それで新しい目標を作って行く、ということになります。
そしてまた、「どんな」と関わって、具体的にやるべきこと、
成長すべきこと、も見えてきます。

また、もし高校の先生になれなかったとしても、
夢であった「どんな」の部分で、自分のやりたいことが見えてきます。

これは他の仕事も同じで、「トレーナー」というだけでなくて、
「どんな」トレーナーか、を考えていくことで、
自分のやりたいこと、大切にしたいこと、が見えてくると思います。

そんな「夢」を持つことがまず最初に大切なことです。

う~ん。。。長くなった。
また、続きはそのうち。

PS:先日のゼミ飲み会ネタ。
まとめ役のある人物は、細身でない女性が好みだ!と叫んでいました。。。
ゼミの飲み会は、恋愛話をしゃべっていく、というのが恒例となっているようです。

2012.08.27

日本体育学会第63回大会(3)

【ハル】先生、【GOTO】先生に引き続いて、日本体育学会第63回大会のその3です。

 

【ハル】先生の指摘にもあるように、分科会が15もあり、それぞれの分科会での専門性が先鋭化するにしたがって、「蛸壺化」してきて、『体育学会』そのものの存在意義が議論されることにもなります。この間、体育学会でも工夫されており、「情報交換会」によって、分科会を横断したネットワークづくりなどが企画されています。今年のプログラムでは、大会組織委員会企画として、学際的シンポジウムが3つ行われました。1では、当番校の東海大の特徴を活かした「ナンバ」走りについてでした。2「こども」、3「健康寿命」については、分科会横断でシンポジストを集めていました。

 

特に2について説明すると

「子どもを育てる運動・スポーツの現状と課題」のテーマで、次の5つの分科会からのシンポジストを登場させていました。①発育発達、②運動整理学、③バイオメカニクス、④体育哲学、⑤体育科教育学、です。シンポジストがテーマに対してそれぞれの分野のアプローチを解説するとともに、ディスカッションでは分科会を横断した意見交換がなされて、非常に活発なシンポジウムでした。まさに、学際的な「体育学会」ならではの取り組みです。会場は満員で、溢れる人が出るくらい盛況でした。

来年、当番校としては、『体育学会』に相応しい企画(講演、シンポジウムなど)、スムーズな大会運営(教職員・院生・学生)、ホスピタリティマインドに溢れた受け入れ、そして立命館大学のこの分野に関わる研究のアピールができるように準備していく必要があります。

 

関係する方々にはこれからの1年間が短く感じられるものとなるかもしれません。ただ、『体育・スポーツ・健康』の科学研究の発展の標石をおけるような大会にしていきたいですね。

 

<<今週のちょっと、もっと、ほっとな話>>

7月末に行いました立命館大学スポーツ健康科学部・大学院スポーツ健康科学研究科による「スポーツ健康科学サマースクール」のダイジェスト映像ができ、YouTubeにアップされています。院生の中塚君が頑張ってつくってくれました。YouTubeで、『サマースクール 立命館大学』と入れて検索してみてください。

【忠】