新しい年が明けた。2011年は甚大な津波被害と原発事故に明け暮れた感がある1年だった。3月11日にわが身に走った「激震」は、時の経過とともに和らいで来てはいるが、その時に生じた地元での「亀裂の修復」への思いは、依然として強い。2012年は、どのような年になるのだろうか。
そんな折に届いたメールが1つ。原発事故以来、ずっと地元で「除染作業」に携わっている福島大学の学兄からのものだった。
12月22日に厚生労働省食品衛生審議会が食品中のセシウムに関して厳しい「新基準」を定めたことに関するもので、彼らは、それを「撤回」させるべく行動しているという。その理由が、国民の安全を保障する姿勢としての「厳しい基準」は、放射能と付き合うわざるを得ない中で生活していく福島の実態を踏みにじることになるし、その基準の根拠も不明瞭で、「偏狭で完全無欠の健康至上主義」から声高に発せられる「健康を守れ!」に阿た結果だと思っている、と厳しい。
「健康になるなら死んでもいい」というパラドックスが成立するような時代だが、決定的な「差別観」にもとづけば、自分たちの「健康」のためには他は死んでも構わないという、まさしく偏狭な健康観が横行することになる。私たちはそんな「健康文化」づくりに一役かっているのだろうか、と。
そんなことを思っていた時、思い出深い懐かしい方からの賀状が届き、心に沁みるものがあった。岡山県「長島愛生園」で生活する「元ハンセン病者」の方からのものだ。
2004年に岡山大学で開催された日本教育保健学会の折に、「特別企画」で講演していただいたのがきっかけだった。打ち合わせで現地を訪ねた際、にこやかに私を迎えてくれ、ご自身の60余年の歴史を淡々と語りながら園内を案内されたことが思い出された。1941年に12歳で発病し、その年に「強制隔離」されて以来、今年で71年になる。
1996年の「らい予防法の廃止に関する法律」の制定で一応の解決がなされて来てはいるが、「今更、社会復帰と言ってもねえ・・・」と、電話口で話されたことがあったが、現在も「愛生園」での生活だ。久しぶりの賀状には奥様の名前も記されていた。お二人ともお元気なのだろうか。また訪れてみたいという思いに駆られている。
2012年は、鳳・麟・亀とともに四瑞の1つと言われる竜に肖って、「健康づくり」の分野でも、是非良い年であってほしいものだ。 mm生