2019.04.08
[ education ] の記事一覧
2019.04.05
新入生オリエンテーション
いつも遅めの更新、嶋村です。
前回までは英語教育の話で色々言いたい放題書いたと思いますが、まあ、まとめると英語ができるやつはそれはそれでできないやつそれで良いじゃないかってことです。あはは、すみません。投げやりで。でも僕はたまたま英語が話せるようになりましたが、出来るならピアノでリストの「ラ・カンパネラ」を弾いてみたかったし、100 m を 10 秒くらいで走りたかったし、数学者や物理学者になってみたかったけど、まあこうなっちゃたんで仕方ないです。ちなみにそれでも教科として英語を勉強するのは教科しての英語を勉強することに意味があるからじゃないでしょうか。外国語を勉強することで母語への気づきがありますし、分析的な思考も含めて学習能力の向上にも繋がると思います。なので、そういったことを無視してくだらないコミュニケーション重視の、ある一部の無知な連中を満足させるだけの英語教育の改悪はやめて欲しいです。
というわけで今日も言いたい放題言ったので違う話をしたいと思います。今週は新入生のオリエンテーションがありました。写真を少し載せておきます。新入生を迎えるにあたって、在学生の学生さんはオリジナルのパーカーを作って新入生を色々サポートして頑張っていました。
さて僕自身は新年度から早速やらかしてしまいまして、オリエンテーションの新年度の先生の集まり遅刻してしまいました。。。まあ言い訳するとバス(あとバスを待つ列)が死ぬほど混んでいて、全部合わせると1時間くらいかかっちゃって余裕で間に合うつもりで来たつもりがしっかり遅刻をして他の先生や事務の方に迷惑をかけてしまいました。すみません。。。まあけど当日は「バスが遅れたし、僕は悪くないも~ん」て思ってましたが、学部長先生が挨拶の冒頭に「いかなる理由があっても遅刻なので、大人はちゃんと余裕を持って行動しよう」との旨のお話があり、耳が痛いことになってしまいました。とほほ。。。
まあしかし以前も書いたかもしれませんが、(個性の強い人の多い、そして天邪鬼が多い)文学部出身の僕に比べるとスポ健の先生はきっちりしていますね。僕が社会的な「きっちり」度でスポ健の先生方に近づけるかは知りませんが、スポ健を卒業するまでには世の中を斜に見ている捻くれ者のこの性格をなんとかできたら良いなとも思います。しかし、一方でこれは僕の個性なのでこれはこれで良いかなとも思ってます。まあ自分に疲れますけど。。。というわけで、今年度もこのブログを担当することになってしまいました。。。こんな僕ですがよろしくお願いします。
またまた。
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英語教育の話 その3
みなさん、こんばんは、遅めの更新、嶋村です。今日も前回に引き続き英語教育の話をしたいと思います。
突然ですが、みなさんは微分積分が得意ですか?僕は全くわかりません(笑)。僕は高校で文系を選んだので、途中で難しい数学とさよならしました(文系数学は勉強しましたが)。けれども、世の中に、例えば解の公式を覚えていて今でも使える人ってどれくらいいるのでしょうか。結局数学って使わないと忘れるし、それはそれで今生きていて大して困っていません。同様に国語文法の活用や助詞の用法をいろいろ覚えてはいませんが、別に困らないし日本語は話せます。昔都道府県の県庁所在地をせっせと覚えたんですが、細かい地方はちょっと忘れてしまいました。大政奉還はうちの近所の二条城が舞台となったそうですが、何年に行われたか知ってますか?
以上の問いに「いや。。。」と答えた人は学校教育を批判しないといけませんね、つまり「俺が数学ができないのは学校教育が悪いんだ!」って(笑)。しかし、僕の知る限りそういうことはなさそうです。「現状を受けて日本の数学教育の改革をしなければならない」なんて聞いたことがありません。しかし、この点で英語は不思議でみなさん熱心に批判をなさるそうです。「なんで英語だけ?」って思いませんか?こういう意見は先週のブログで紹介した雑誌にもありました。
結局我々が学校で学んでいるのは教科としての英語なんですよね。なのでそれを実生活で使うかどうかは意識していないと思います。中学校の先生が、日本人の英語で this is a pen を「でぃすいずあぺ~ん」と言っても問題がないわけです。だって、我々は英語という教科を学んでいるわけですから。別にそれを実生活で使うかどうかは人それぞれですし、多分、日本に住んでいる多くの人が「英語を話せないと生活に困る!」みたいなことはないでしょうね。翻訳機も充実してますし(笑)教科としての英語、すなわち我々は英語という言語の仕組みを勉強しています。主語がどれだとか不定詞はああだこうだっていう具合ですね。こんなことをしていてはもちろん英語を話すということに直接関係ないかも知れませんが、しかし言語に対する「気付き」を持つことができます。この「気付き」は英語というよりは母語の方にあるべきだと僕は思っていて、つまり英語を通して日本語を見つめ直すということなんですね。言語(英語)の仕組みを語る上で言語(日本語)を使っているということを理解していない連中が、やれコミュニケーションだ、グローバル化で英語は必須だ、だからとにかく話すことが大事なんだ、文法はいらないとか愚かなことを言うわけですね。他の言語を理解する時に必要な知識を記述する言語をメタ言語ということが出来ますが、このメタ言語的な力が大事だと思います。これは結局(才能と)努力で身につけるしかありません。数学が得意な人がいるように英語が得意な人がいる。それでいいんじゃないでしょうか。僕は英語を話さないと困るという状況になったのは大学院に行き始めてからで 20 代の後半でした。まあそれなりに英語が使えています。なので、どれだけ早く始めたかではなく、どれだけ、メタ言語的な能力も含めて、学習する能力が高いかによるのだと思います(別に僕自身が頭がいいって言っているわけではないですよ 笑)。なので、今回文科省がやろうとしている改革は結局何にも変えないと思っています。出来る子は出来るし出来ない子は出来ません。例えば、小学5年生に微分・積分を教えたいと思いますか?まあうまくいくかも知れないしそうじゃないかも知れません。そんなもんです。なので、まず冷静になって基礎的な思考力や学力を養ったほうがいいと思います。
僕は自分の娘にピアノを習わせたいと思っていますが、多分それは自分がピアノを弾けないからです。けれど英語を早いうちから学ばせようとは思いません。だって、自分はどうすれば英語を話せるようになるのか知っているわけですし、どの程度のレベルの英語を話すべきかも知っています。なので、今の英語教育改革は何ていうか「自分の子供を英語が話せるようにしたい」、「英語が話せないとダメなんだ」っていう何も知らない国民の恐怖心というか劣等感を煽るような気がして気持ち悪いですね(笑)。
まあ今日はこの辺で。来週からはもう少し楽しい話をしたいと思います。。。
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3月も、もうすぐ終わります。
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旅立ちの日
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