こんにちは。Ma34です。
学生さんたちは試験も終わり、やっと待ちに待った夏休みを満喫しているのでしょうか。
教員陣はきっとどの先生も山積みのレポートや解答用紙を前に、気合を入れている時期かと思います。例にもれず、わたしもそうです。。。
ただ、学生のレポートを読むのは嫌いな仕事ではありません。とくに教職の授業で学生に課した授業案のレポートでは、教材や発問に工夫をすること!という一言を伝えたこと、そして授業でマイクロティーチング(ひとりたった5分間ずつですが、120名強が受講したので、小教室を8つも借りました!)をした経験を活かして、重要なところはセリフで書いてもらう指導案は、とても読み応えのあるものです。
これはきっと私の授業がうまくいったということでは・・・と少し鼻を高くしていたのですが、本を読んでいてこのような文章に出会いました。
「結果がよかったときは、人の功績に。悪かったときは自分が悪者となる。」
(渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』、幻冬舎、2012年、p.21)
現場の先生方との授業検討会に参加して、とてもよい学びの姿が子どもたちに見られたとき、先生方がよくこのような姿勢でいらっしゃることを思い出しました。もちろん授業がなぜ良かったのかという分析も欠かせませんが、最後は子どもたちの功績だとおっしゃいます。一方で、悪かった部分、改善点を見つめ、より良い授業にするための不断の努力も欠かせない。
そんなことを思いながら、自分の上述の思いを恥じたわけです。学生の授業案に対する熱意や工夫、ほかのレポートや試験勉強があるなかで時間をかけて作成したことに敬意を払い、わたしも彼らのレポートから多くのことを学んでいます。
問題なのは、じっくり読むと早くても1人8分はかかること。これが120名。この科目だけで時間が足りないような気がします。