『辺境からはじまる 東京/東北論』(赤坂憲雄・小熊英二編著、明石書店)が刺激的で面白い。「東日本大震災」と原発事故後に東北ゆかりの若手研究者が集まって研究会を開き、その毎月の報告者たちが書いた論文をまとめたものだ。その「まえがき」には次のようにある。
・・・共通した問題意識がある。それは、「東京」と「東北」、「中央」と「辺境」の関係に象徴される近代日本、現代社会のありように対する問いかけと、それを変えようとする模索である。もちろん、ここでいう「東京」も「東北」も、「中央」も「辺境」も、実体ではない。それはある関係の中で作られた概念である。逆にいえば、問われるべきはその関係である。それゆえ「辺境」の問題は、地理的な意味での「東京」にも存在する。・・・「辺境」からはじめるとは、幻想の中央にむかって憐れみを乞うことでもなければ、遠くの誰かの災害を思いやることでもない。それは、自分の足元から、現代を問うことにほかならない。
こうした厳しい言説に到底敵うものではないが、私にも同じような問題関心があったのを思い起こしている。共同研究「日本における中山間地域の活性化に関する地域マネジメント研究~経営学・マーケティング・ケアの視点から~」で、健康づくり支援の「教育的な営み」を拠り所とした「ケア」の問題に迫ったことがあった。京都市内や丹後地域のいわゆる「僻地校」での教育実践をめぐる問題は、「中山間地(僻地)」と「都市部」との関係の中で作られた問題ではないかというものだった。そして、3月11日の「東日本大震災」のことは、丹後半島付け根の伊根町に調査に行っていた時に知ることとなったのだが、それ自体が何かしらの縁であるのかも知れない。
「中山間地」での問題は、地理的な意味での「都市部」にも存在するのではないか。健康づくりの「教育的な営み」の実践にもとづく検証がなされなければならない。そのような元々もっていた問題関心に加えて、「東日本大震災」の災害の状況に直面することとなった。そこでは、法的拠り所である「学校保健安全法」の枠組みの下で健康づくりがどのように保証され、その土台にある安全がどのように確保されていたのかについての検証こそが重要になってくる。問題関心の拡大・深化といったところだろうか。
郷里・石巻やその周辺を襲った巨大津波被害を目の当りにしたのは、共同研究作業の最終盤でのことだった。少なからず精神的な動揺があって、十分吟味することなく書き連ねた論文となってしまっていた。それだけに、健康づくりの分野から現代を問う研究作業が改めて準備される必要があったし、その進展も求められるものだった。
『辺境からはじまる 東京/東北論』は、まだまだ漠然とした問題関心に対して大きな刺激を与えてくれるものだったし、やはり漠然とした課題意識に対してはかなり明確な針路を示してくれるものだった。「辺境」からはじめることに学びながら、研究作業を少しはまとまったものにして行きたいものだ。 mm生