後期開始直前の9月17日・18日と、宮城県石巻市そして福島県郡山市に足を運んだ。今回は、台風の影響で夜行バスが3時間も遅れてしまい、目的地・石巻着が午後3時少し前という状況だった。1日目の行動はごく限られたものになってしまったが、新しい「出会い」があったし、2日目には、新しい「学び」があった。
石巻市渡波にある万石浦(まんごくうら)小学校の代替養護教諭のA先生と、ごく短時間ではあったが、お会いしてお話を伺うことが出来た。A先生は近隣の荻の浜から通っているのだが、津波被害に遭って、現在はご両親と「仮設住宅」住まいだと言う。但し、荻の浜地区では、「人的被害」は無かったという。そんな話を聴きながら、ふと、牡鹿半島を挟んで北側にある谷川(やがわ)浜のことが頭を過ぎった。
そこでは、集落は壊滅して多くの人が亡くなっている。私の父方の親戚夫婦もそうだ。「人的被害」の有無の「差」がどのようにして生まれたのか。
例えば、谷川小学校も校舎は完全に津波に呑み込まれ、浜側に近い体育館は跡形も無く押し流されてしまっているが、子どもたちは全員無事だった。一方で、大川小学校のような悲惨な状況が生まれている。このような「差」がどのようにして生まれるのか。そんなことにも思いを巡らしていた。
石巻から女川に向かう国道沿いに建つ万石浦中学校に隣接していて、それぞれの学校は津波被害も然程ではなかったようだが、小学校と中学校の間には「仮設住宅」が建ち並んでいて、はっきりと「被災の爪痕」を感じさせてくれる。
もし正式に採用されると、宮城県では最初の男性養護教諭となるA先生。子どもたちの健康の問題はもちろん、命や安全の問題について真正面から取り組む、学校保健の中心的な担い手として成長していただきたいものだ。
郡山では、助産師のMさんたちが取り組んでいる「子育てチャット」を覗かせていただいた。この活動は、平成17年から継続しているもの。そして、「東日本大震災」にともなう原発事故後には、このような「子育てサークル」は行政レベルでも数多く取り組まれてきているという。
若いお母さんたちが小さい子どもたちを連れて参加し、子育ての様々な不安や悩みを出し合い、みんなで解決を図って行こうとする、ごくありふれたささやかな活動だという。しかし、参加しているお母さんたちの中には、「原発事故後」に結婚して郡山に住み着いた方もいたりして、大変「重い課題」にも向き合っている活動だということが理解出来る。
例えば、矢部史郎『放射能を食えというならそんな社会はいらない、ゼロベクレル派宣言』新評論、など徹底した排除の論理の一方で、一ノ瀬正樹『放射能問題に立ち向かう哲学』筑摩書房、など混沌とした放射線被爆の健康影響に対して明るみをもたらそうとする論理とがぶつかり合っているのだから。
こうした「出会い」や「学び」については、学生諸君にも伝えて行きたいものだ。先ずは、後期の授業にどのように活かしていけるのか? それが問題だ。 mm生