2011.06.24
2011.06.23
演じる。
私はプレゼンが苦手です。
幼稚園教諭になりたくて短大に入学しましたが、学生時代、部活のトレーニングや授業の疑問から、研究の謎解きにはまっていった結果、今にいたっています。研究結果を伝えるためには、プレゼンで研究を分かりやすく伝えることが大変重要になります。どうすれば、万人に分かりやすく説明できるか、思考錯誤の連続です。特に、学会発表において大勢の人の前で研究報告や、限られた時間内で端的に分かりやすく伝える能力が重要で、時と場合によっては、自分を売り込むための手段にもなります。無理やり学会発表しなくても、論文を書いた方が業績になるのですが、プレッシャーを感じながら研究報告するきっかけと、次の実験へのステップになるので、敢えて発表するようにしています。また、発表することで同じような研究をしているグループとディスカッションでき、新たな研究の方向性に気づくのも、大きなメリットになってきます。
スライド作りの原点は大学院修士の発表会でした。紙芝居作りのように、プレゼンのスライドをつくり、プレゼンが苦手な私は指導教員の先生の前での発表や、同期の仲間や先輩からもアドバイスを頂きながら何度も練習し、自覚しない間に丸暗記していたことが懐かしいです(暗記は全く無意味ですが)。
そんなことを振り返りながら、今週の火曜日はラン智タイムFDセミナーで、Sanada先生司会のもと、研究トピックスの報告を担当させていただきました。(研究内容の報告については、論文が通ってからブログで?!と思っています)ちょうど昨年の今頃、NS研究会で発表させて頂いた際、忠先生から「プレゼンしている自分を演じればいいんよ」と、アドバイスいただいたことを思い出しました。「演じる」簡単な響きですが、私には困難を極めます。このアドバイスを頂いてから、重要なプレゼンのたびにその言葉を思い出します。今週のプレゼンは好きな研究のことだったにもかかわらず、納得いく発表にならなかったのですが、先生方がたくさんの質問、コメント、アドバイスをくださったお陰で、とても楽しい刺激と次の実験へのステップが明確になった気がしています。ご意見をくださったことにとても感謝しています。1つ1つの意見を大切に次へ進みたいと思っています。ありがとうございました。
「能力がなくても、一流を目指して努力を重ねることで、限りなく一流に近づくことができる」ような気がしています。生物学的に考えてみると、「努力を継続できる力は、能力がない者に備わって行く能力」なのでは?などと都合良く思うようにしています。
今年度は、大学院の1期生が2年間の集大成である修士論文の完成を目指します。発表会はまだ先ですが、スポ健初の修了生を陰から密かに応援しています!香
助教部屋の靴入れです。昨年、伸先生が買ってきてくださいました。先日、キム哲先生が名前をはってくださいました。ありがとうございます〜。結構気に入ってます(^-^)
「ブログに載せてくださいよ〜」というリクエストにお答えして、掲載しました。
1番上:キム哲先生
2段目:伸先生
3段目:私。
研究分野も性格も、全く異なる助教3人トリオですが、時折、いろんな話を展開しつつ、自然体で仲良くやっています。
キム哲先生も伸先生もプレゼン能力は非常に素晴らしいのでお手本にさせてもらっています。
2011.06.22
3月11日から100日が過ぎて!?
5月の連休の時と同様、今回もJR石巻駅前の「駅レンタカー」が使えた。こうしたこと一つ一つが「復旧」の兆しではある。第一そして第二内海橋を越えて、旧北上川河口付近東岸の湊地区:にはいった。牧山の裾野と旧北上川に挟まれた比較的幅の狭い地域だけに被害が大きかったようだ。そして、渡波地域に至る幹線道路は一部陥没していて土砂に埋まり、轍も出来るほどの荒れた道になっていた。自動車の走行もまま為らないところがあった。道路から川岸沿いの建物の被害が特に大きい。湊地区を経由して、サンフアン・パークに向かう途中にあるのが渡波地区だ。石巻湾に面していて津波の被害はやはり甚大だ。海岸から1キロ弱の幹線道路沿いの建物は軒並み津波に浚われてしまっている。道路も陥没したりして、ところどころで渋滞している。
「サンファンパーク」は、伊達政宗の命を受けた支倉常長ら「慶長の遣欧使節」が乗船して、メキシコまで太平洋の波濤を越えていった500石船・サンファン・バウティスタ号が復元されて台座に収まって展示されているところだ。今回の津波で、マストを折るなどの被害があったようだが、しっかりと台座におさまっていた。公園内の博物館は、地震の被害があったようだが、現在も避難場所として使われている。一度逆戻りして牡鹿半島の尾根伝いを走る「コバルトライン」を走って行こうとしたが、入り口から少し入ったところで「通行止め」だった。「コバルトライン」入り口から少し北に位置する女川を経由して、海岸道路沿いに谷川に向かうことにした。
女川の被害については、凡そ把握していたつもりだったが、眼前に広がってきたのは「瓦礫の原」。岸壁付近の建物は跡形なく浚われてしまっている。かなりの高台まで、建物はほとんど残っていない。湾口が広く奥に萎んだ女川の地形が、殊更、津波の被害を大きくしたようだ。町役場も、高台にある小学校を借りて臨時の業務をこなしているという。そして、標高37メートルほどのところにある町立医療センターの1階部分まで津波が押し寄せたというのである。情けないことに、こうした「惨状」を目の当たりにして、それ以上奥の谷川まで行く気力が失せてしまった。「がっくり」して石巻まで戻った。またまた、目的を果たせなかった。
今回もそうだが、現地の人々や若い自衛隊員の何人かと話が出来たりしていて、「災害」の深刻さということについては、「臨場感」をもって考えることができる。そして、例えば学校保健制度を裏打ちする「学校保健安全法」のとくに「安全」は、どこまでの守備範囲として「想定」されていて、それが今回の大震災に際しては、どのように「効力」を発揮することになったのか、といった点での研究者としての関心が頭を擡げたりもする。しかし、そうした想いをどのように復旧・復興まで繋げていけるのか。「為す術を持たず」といったところだ。
メディアの映像で何度も映し出された門脇小学校は、階下部分は津波ですっかり破壊されており、加えて火災によって完全に「廃墟」と化している。現在、学校機能は、裏手の山に続く鰐山にある門脇中学校の校舎を借りて何とか果たされている。小学校を背にして周辺を眺めると、一面「瓦礫の原」。約1㎞先に広がる雲雀野海岸からの津波をまともに受けてしまった地域だ。この付近には、拠点病院としての石巻市立病院があるが、周辺は依然として瓦礫の山で、この間の雨の影響だろう、道路も「泥んこのでこぼこ道」と化しているのだ。
少しの「救い」は、馴染みの蒲鉾屋、菓子屋そして床屋などが営業を再開し出しているということだ。 mm生
2011.06.21
チームワークと気付き。
2011.06.20
ゲストスピーカーによる講演
スポーツ健康科学セミナーⅡにおいて、
6/9 木村季由 先生(東海大学准教授 ラグビー部監督)
6/16 柴田 麗さん 尾崎道大さん((株)明治、ザバス担当)
の講演を頂きました。
木村先生からは、この間13年間のラグビー部強化を通じて考えてこられたことを中心に話して頂きました。13年前に就任時は、リーグ戦グループ2位のチームを任され、近年はリーグ戦4連覇、ここ3年間は大学選手権ベスト4以内(2010年は惜しくも準優勝)の強豪チームに育ててこられました。1時間の講演では、語り尽くすことはできませんので、要点をかいつまんで披露頂きました。そのいくつかを以下にまとめました。
1.大学院・助手時代に学んだこと
日本体育大学を卒業後、社会人経験を経て、日本体育大学の専攻科、大学院研究科へ進学、そのあと助手として2年間勤務。この頃に学んだこととして、
①心構え(attitude)を養う
②研究(勉強)の方法を学ぶ
③客観的視点を持つ
④知識欲を高める
直接、現場指導につながるものばかりではないが、考え方のベースとなり、身につけたものの置き換え、応用する力となった。
2.東海大学就任時の目標設定は、「大学日本一」
その内容は、「大学選手権優勝」そして「日本一良いクラブ」
全てはこの目標実現に向けて、『覚悟を決め、腹をくくる』。前者は競技力の向上、後者は、「良いクラブ」の中身を議論しながら、日常の規律も高めながら、かつ妥協せずに前進させていった。
また、実現のために、125名の選手、20名のスタッフ全員に役割があり、クラブの目標に向けて、必要な人材として各自が動く。特に4回生がしっかり動くような文化を創り上げてきた。
3.目配り、気配り、思いやり
合宿所のあり方の中で、地域の一つの存在として意識する。この地域に「東海大学のラグビー部の合宿所があって良かった」という存在なる。そのため、週2回の地域清掃活動もイベントにせず、日常の一つとして取り組む。準優勝した翌日も「通常通り地域清掃活動」。
4.理想と客観(あるべき姿)
自分たちが目指すものは何なのか?どうなりたいのか?どうあるべきなのか?これらを具体的に越えに出してみる。また、指導者は諦めずにいいつづける。
大切なことは、漫然としたものでもイメージを持つこと。自分に何ができるのか。何ができないのか?何が必要なのか?そしてどうあるべきなのかを常に意識させる。本人として、そしてクラブとしてのあるべき姿を意識させる。
5.最後に
「人は一人では生きていけない」
「人間が幸福を感じる三要素。やりたいこと、やるべきことがあること、それができること。(高樹のぶ子)」
大学は、上記の三要素を探せる絶好のチャンスである、ということで締めくくって頂きました。
6/16のゲストスピーカーに講演は、2名体制によるはじめての講演でした。
最初に、尾崎さんからお話し頂きました。尾崎さんは、福岡大学法学部を2001年に卒業され、明治製菓(現在、明治)に入社されました。大学時代は、アメフトの選手として活躍され、一方で怪我も多かったようです。就職活動の時に、「スポーツに携わる仕事がしたい!」ということでスポーツ関連の仕事を探され、栄養・サプリメントで選手に貢献したい、ということで同社に入社。ただし、入社してから、毎年「ザバス」を担当したいという希望をもつが、「イソジンうがい薬」の担当を長く勤めた後、念願かなって2008年から担当となり、ザバスのマーケティングを担当している。この間、社内で自分の希望を言い続けたこと、同時に、任された仕事を最大努力で実践してきたことが、自分のやりたい仕事(担当)につながったとお話し頂きました。
もう一人の柴田さんは、ザバススポーツ&ニュートリションラボ所属で栄養サポートが主な仕事。この間の経歴は、武庫川女子大学体育学部卒業、その後、栄養士の専門学校(2年間)で栄養士の資格を取り、管理栄養士の資格を取るために必要な栄養士の実務実習をするために健康食品の会社に勤める。さらに、筑波大学大学院で修士号も取り、スポーツ栄養士のセミナーでAB先生に出会い、諦めかかけていた「スポーツ栄養」に携わるために、現職につく。ザバスの世界観「スポーツ界への貢献、日本の健康なココロとカラダづくり」を実現するための現在の活動状況を丁寧にお話し頂きました。
若いお二人ならびに食品関係への興味・関心のため、質疑応答は今までの中でも一番活発でした。授業後も残って頂き多くの質問を受けて頂きました。ありがとうございます。
【忠】
2011.06.19
二回生の英語 P3 で中間発表を行っています
みなさん、いかがお過ごしですか。
私が担当している二回生向けの英語P3では、
英語で、ディベートとパネルディスカッションを
行うことが出来るようになるの事を、到達目標にしています。
今月に入って、中間発表が行われていて、
毎回、必死に準備をしながら、授業に臨んでいてくれています。
左は、ディベート
右は、パネル・ディスカッションの様子です。
スポーツ健康科学部では、発信型の英語教育カリキュラム ですので、
受験生のみなさん、きちんと高等学校で、発表するための英語の基礎力を
身につけておく事が、とても重要です!
自らが主体となって、積極的に授業に参加してください。
それでは、また。失礼致します。
敦
2011.06.18
フットサルチーム(All.1)頑張れ
スポーツ健康科学部に、「あいつはいろんなことに頑張っている」と信頼されていると仲間が多くいます。
今回はその仲間の中から横山周平君(スポーツ健康科学部2回生)に忙しい時間を頂戴してお話を伺いました。
横山君は、オリターで活躍してくれているばかりか生活協同組合学生委員としてもスポーツ健康科学部を支えてくれています。
仲間らは、一言、「めっちゃ頑張ってる奴」。
実は、今回彼が日頃取り組んでいるサークル活動に私は興味を持ったのです。
横山君は、フットサル(日本フットサル連盟:日本サッカー協会の傘下の団体)のAll.1(オール ワン)というチームに所属しています(BKCには約10チームぐらいあります)。
まだ歴史の浅いチームですが、昨年度は滋賀県代表で関西学生リーグにおいてベスト4に入る強豪チームです。
サークルとしては登録団体ですが、まず同好会に昇格し、将来は体育会のチームとして位置づくことを目標に活動しているチームです。意識は準体育会としてかなり高いそうです。
また滋賀県社会人リーグ1部に所属しかなり、注目されているチームでもあります。
横山君は、そのチームのゴールキーパーの選手として活躍しています。縦(38m-42m) × 横(18-25m)と狭いコートに5名(1名はゴールキーパー)が動き回る競技で、サッカーのゴールキーパーとは少し動きや役割が異なるそうです。
ハンドボールのゴールキーパーに近い動きをするのかなと思います。
また蹴りだされるボールの速度が速いことから、選手の視界に入らない展開も多く、ゴールキーパーの的確な指示も必要だろうなとお話を聞き感じました。
明日19日(日曜日)、全日本大学フットサル選手権に向けての滋賀県予選(びわこ成蹊スポーツ大学会場)が行われます。
ぜひ、昨年と同様、びわこ成蹊スポーツ大学(体育会)に勝って、関西の頂点に立ってもらいたいと願っています。
全国でも関西のレベルが非常に高いそうですよ。ほとんどの大学が体育会で、学内の施設を使っての練習だけど、横山君らは学外の施設を用いての練習だから大変。何年後かの体育会昇格目指してチーム一丸となって頑張ってくださいネ。
横山君はプロスポーツのマネジメントはじめスポーツイベント企画などに興味を持っているそうです。
今後さらにスポーツマネジメント系での学びを積極的に取り組みたいと大きな夢を語ってくれました。
2回生って、将来の夢に向かって走り始める時期でもあります。「俺は、こんなこと頑張ってるよ」「こんなこと、勉強を始めたよ」と仲間に話し、また仲間の話を「そっか~、俺も頑張るわ」聞いてあげるような仲間作りを皆に願っています。
全国大会に出場が決まったら、ユニフォーム姿のメンバーで登場をお願いします。
【shine】
2011.06.17
前期セメスターも中盤にさしかかりました
2011.06.16
進化し続けること
2011.06.15
「学校保健は何者だ」??
6月14日(火)、経済・経営学部で開講されている「ウェルネス論」での講義内容に関わって。
この日の「テーマ」は、「学校保健での健康づくり」だった。保健行動科学を学問的な拠り所としながら、自己実現を図る実践的な「健康づくり」としてのウェルネスの発想の中にあって、教育の場における健康づくりの支援である学校保健をどのように位置づけて行ったらよいのか、について考えてもらった。
すでに学習済みの「ヘルスビジネス」による健康づくりの支援に関わっては、兎角私たちは「社会的地位の保全・向上」に敏感であるだけに、例えば、「Money is the key all doors open.」よろしく、「顕示的消費」としての健康づくりが起こったりもする。そうした構図と比較して学校保健はどうなのか?ということを考えてもらうことにもなる。
そもそも学校保健は、母子保健・職域保健・高齢者保健と密接に関わりあいながら「総合的保健」の一翼を担っている。1978年の「アルマ・アタ宣言」にみる「プライマリー・ヘルス・ケア」の観点から言っても学校保健の役割は重要なものであるが、さらに1986年の「オタワ憲章」以降の世界的な「ヘルス・プロモーション」の流れの中でも、十分に光彩を放つものではある。
しかし、学生の「イメージ」は決して芳しいものではない。彼らの想い描く「学校保健」は、保健室・学校健康診断そして「保健室にいる保健の先生」(養護教諭のこと。月曜日の「研究入門」の時には、「保健室にいる白衣を着た医者みたいな人」とある学生は答えてくれたが。)といったところだ。
こんな遣り取りをしていると、ついつい、あの吉 幾三が津軽訛りで「おら、こんな村いやだ! おら、こんな村いやだ! 東京へ出るだ・・・」と熱唱する中に出てくる「・・・レーザーディスクは何者だ?」の歌詞と重なってしまって「学校保健て、何者だ?」と想いたくもなる。
それでも、「保健室や健康診断」が出てくるだけでもましかもしれない。もともと、「健康な子どもたち」を主たる対象としているのだから、学校保健があまり強烈に印象に残らないくらいの方が、実は健康的かもしれない。もちろん、ここで忘れてならないのは、健康づくりの主体が、子どもだけではなく、教職員でもあるということだ。確かに、「過労死・過労自殺」に追い込まれるほどの「引き攣った」状態の先生方が子どもたちに康づくりを語っても全然説得力をもたない。