12月5日・月曜日。夕方の会議が多少早く終わったので、途中からではあったが、「バベルの塔」の上映会に足を運んだ。この映画は、高垣博也氏の監督によるもので、「映画紹介」にあるように、「原子力発電の基本的問題をわかりやすく解説しており、今後のエネルギー問題を考える上でも大いに参考になる」ものだ。
大学3年になる末娘が、インタビューを受けた81人の内の一人として「チラッ」と画面に登場するということだったし、彼女の友人たちが「京都学生プロジェクト」として「学生上映会」に漕ぎ着けたものだという曰く付きのものだった。
私が観ることが出来たのは、後半30分ほどにしかならなかったが、大変解りやすく改めて勉強にもなったものだった。初めから上映会に来ていた妻や娘たちはもちろん、小学3年生の双子の孫たちも真剣に観ていたようだ。
1つだけ「これは必要だったかな?」と思わせる場面があった。それは、真ん中に日本列島を描いた地球儀を被った人物が、「ロシアン・ルーレット」よろしく、最後の引き金を引いて斃れる場面だった。今回の「東日本大震災」に際して、連日流される「被災映像」が、重要な情報の一方で、子どもたちには情緒不安など心理的な影響が出ているということが、頭を過ぎったからだった。
我が家の孫たちには、その影響はなかったようだし、孫の1人は殊勝にも、「電気を我慢してもいいですから、原子力発電所はいりません。」と「アンケート用紙」に応えていたようだ。
実は、私は今、12月20日締め切りの『雑誌論文』を抱えている。「特集仮題」は「環境問題と健康教育」とあり、その趣旨は「現代のかかえる環境問題は地球規模で緊急の大きな課題となっている。これらの問題を概観し、私たちはこれらの問題とどう向き合えばよいのか。どう読み解けばいいのか。そして、教育の果たすべき役割とは何かを考えたい。」とある。
「国連人間環境会議」(1972年)以来、地球規模の環境問題解決のために幾多の議論と作業が為されて来てはいるし、成果も出てきてはいる。しかし、私たちの「生活の場」としての地球環境は、常に私たちに「自然の驚異」として抗うべくもない力を見せ付けてくれる。1995年1月の「阪神淡路大震災」がそうであったし、今年3月11日の「東日本大震災」もそうだった。そんな中で起こったのが「福島原発」の大問題であり、まさしく、人類史的な大きな課題だ。
「材料」が余りにも多く、「どのような切り口でまとめて行こうか?」と考えていた時の「バベルの塔」だった。映画の編集途中のものを観た学生たちが、自分たちと同じ学生に観せたいとの思いが実現させた「上映会」だった。学生たちからは解りにくい部分の指摘があって、それが反映されて映画は完成したという。
こうした、学生たちの「思い」も受け止めながら、「環境問題と健康教育」にどう接近できるのか。暫く、頭を悩ましそうだ。 mm生