2015.03.04
素敵な先生方からの学び
いよいよ3月になってしまいました。
このブログを書くのも今日を含めてあと4回となってしまいました。
寂しいです。
さて、この時期には年度末のさまざまな大事なイベントがあります。
この前の土曜日には、午前中に子どもたちの保育園の発表会がありました。
その午後には、京都の英語科の先生方の研究会(同志社中学校を中心とした会)に
参加してきました。
午前も、午後も、感動の涙がとまらない一日になるとは、
予想もしておりませんでした。
午前中の子どもの発表会は、子どもの成長を見て確かに泣くだろうなあとは思って臨みましたが、
実は、一番涙を誘ったのは、
ナレーションをしながらも、子どもたちの姿を見ながら涙でうるうると目を潤ませていた担任の先生の姿を見たときでした。
ステージが終わってから、先生は子どもたちに
「いつも皆はとっても素敵だけれど、今日はとくに最高だったよ!」と涙目で言ってくれたそうです。
長女の心にもその言葉と表情がぐっと染み込んだらしく
帰り道に、その先生の言葉がとっても嬉しかったこと、
そして自分たちが成し遂げたことが素晴らしいものだったと自信を持てたようでした。
子どもたちを想う先生方の日々の取り組み、熱意に頭が下がり、心から尊敬します。
午後は、3名の先生方の実践報告を聞きました。
どの先生も大変お忙しいなか、生徒の一人一人の実態に応じて工夫をされ、
かつ、「自分の授業の質を下げたくないし、本物の英語に触れさせてあげたい」という思いを語られました。
わたしが感動の涙を流したのは、
ある、京都府下のいわゆる「困難校」に務める先生のお話でした。
英語にも、そもそも学習全般にもまったく興味を示さない生徒たち。
それでも、最後の授業で何かしたい、ということで
最初の授業ではよく行われる自己紹介や、自分のことについて書いてもらうプリントを、
最後の授業だけれど。。と言って用意されたそうです。
何気ないプリントのようでいて
「学校の場所で一番すきな場所は・・・」「学食で一番すきなメニューは・・・」
「私は来年、こういうことができるようになっていたい」
「今年、私はこれができるようになった」
と、子どもたちが学校という場に所属感を持って欲しいという思いや、
自己肯定感が高くない子どもたちでも、自分自身の成長を自分で気付いて欲しいというメッセージが込められていることを知りました。
当初、先生は、二つくらい書いてくれたらいいなあと思っていたとのことですが、
普段、ぜんぜん活動に参加しない生徒たちがとてもニコニコと、やる気になって
辞書まで引きながら、書いていったそうです。
たとえば、
学食の唐揚げが好きで、唐揚げって書きたいんだけど。。。と友達と相談していた子どもが、
「KFC」と書いたことに笑い、そこから「そっか、フライドチキンやんっ!どう書くん?」と
嬉しそうに書いていたそうです。
その様子を語る先生は、どんどん涙声になり、
それでもとても輝いた笑顔でお話されていました。
「一番勉強から程遠いと思っていた活動が、それでもいいと思っていれた活動が、
彼らにとって 一番の学びになった授業だった」
という一言がとても印象に残りました。
わたしも、会場にいた参加者も、みんながもらい泣きをした時間でした。
私にとって、教育(保育も含めて)という領域が心から好きだなあと思った瞬間でした。
午前も午後も、共通していると感じたのは、
子どもは(人は)、自己を表現することを欲しているということ、
そして他者から認められ、自分でも自分を認められるとき、人はとても幸せに感じるということ、
そして教師や大人はそうした学びを促す重要な役割を担っているということ、
この3点です。
3月。
忙しい時期ではありますが、今年はわたしも学生と一対一で話す時間をなるべく作ろうとしています。
勉強のこともそうですが、人生のことを何とはなしに話すこと、
その時間を大切にして、できれば彼らの学びを促していけるような語らいができるとよいと思っています。
ma34