[ 2025年05月 ] の記事一覧

2013.03.04

草原の椅子

宮本輝氏原作の同名小説が映画化され話題となっています。宮本輝氏の作品には以前から刺激をもらっており、考え方にも影響を受けています。『草原の椅子』も小説で読んでおり、ある年代に達した大人たちが後半生をどのように生きるのか、過ごすのかを考えさせられました。同時に、小説にもでてくるフンザの砂漠をみてみたいという気にさせられました。今回、いままでどの国も、どの映画会社も行っていない、フンザでの撮影によって映画化された『草原の椅子』で、7000m級の山々に囲まれた砂漠を鑑賞できました。映像の中の見たこともない景色は脳を活性化してくれたようで、これからの仕事、教育、研究、人生についてのチャレンジを喚起してくれました。

<今週のちょっと、もっと、ほっとな話>>

銀座の松坂屋裏のフェルメール・センター銀座で開催中の「あっぱれ北斎!光の王国」を鑑賞してきました。日本が生んだ天才絵師と称される北斎の『冨嶽三十六景』などがリクリエイトという手法で当時の色が再現されています。初めて作品をみて、その構成と手法に魅了されました。ヨーロッパの印象派に影響を与えたといわれるのも納得です。チャンスがあれば是非に。

【忠】

 

 

 

 

2013.03.03

スローに

先週金曜日のスポーツ健康科学セミナーで、田中宏暁教授(福岡大学)によるスロージョギングのお話を聞く機会を得ました。スローステップとともに同語は、先生たちによる造語だとのこと。また有酸素性能力の維持・脂肪を燃焼させるエンジンとしての筋肉量の維持が熟年・高齢者にとっては重要なこと、それに瞬間的運動強度の弱い超スロージョギングであってもかなり効果が期待できること、さらに運動の仕方への提言だけでなく参加者が楽しく継続的に参画できるイベントや望ましい運動習慣形成への助言まで、先生たちのグループの研究と幅広い取り組みについて、興味深いお話を聞かせていただきました。

 門外漢の私ですが、ジョギングと有酸素性作業能の関連など「やっていて・できる」と思っていましたが、「できても」「分かっていなかった」ということが分かりました。

 

私が研究関心をもつ「運動学習の指導過程」についても、同じことが言えるように感じました。従来、「できる」→「分かる」→「分かって・できる」→「分ち伝える」という風に、運動動作発達や習熟過程を表現してきました。また、体育授業の1単元という極短期間でなく、少なくとも2~3年間以上の長期に渡る「学習者の自己変容」の段階的移行を仮定してきました。

「できる」は「手続き的知識」とおおいに関係しています。歩く・走る・ステップを踏むなどの移動・律動運動やヒモ結び・把握・投捕のような操作運動は、模倣と反復によって「自分自身を纏め上げていく」ことに重点が置かれます。何とかことができたとしても、いかに組織化しているかが自分で十分意識化されていません。増してや他の人が分かる形で言語的に説明することはかなり困難です。

次の「分かる」段階への移行はかなり複雑で、個人差、条件差が大きいと考えられています。ある程度できればそれなりでいいのですが、「周囲の文化環境」によって人々の経験がここから大きく異なっていくと仮定されます。もっとあの人のように上手くなりたい(ロールモデル)、このような状況の不成功やミスを克服したい等々、プレイや運動目標に対する個々人の注意の焦点が多様化・特定化、分散化していきます。一時的に下手くそになったり、時には目標変更や放棄などが生じたりします。初心・初級段階の技術水準なら、ある程度の期間さえ継続すれば、ほとんどの人がここをクリアするはずと思われます。けれども中級段階に達するまでの数年間が問題で、「成功例だけが結果として報告」「勝利・記録達成の結果をもたらせた内容・方法が指導方策として注目」される状況です。

次の「分かって・できる」段階は当然、前の段階と重なっています。中学後半から高校生、時には大学低回生までがその範囲に入ると仮定されます。ここでの特徴は、「教えられ、反復したことを再現する」ことだけでなく、「目の前の新奇な事態に対応する自己イメージを強く描き、対応の仕方を変化させる」ことだと仮定されます。自分勝手な思い込み、他の人のプレイやその考え方に対する強い要求が出現し、個々人にとってもそのコントロールが「人格発達の課題」になるところです。ミスに対する指導者との意見の食い違いが生じたり、指導者にとっては反抗的態度に映ったりすることがしばしばです。競技は好きだがクラブを外れ、その時の自分の段階にあった競技環境を得られず、競技自体から外れてしまった人がかなりいることも予想されます。

 

最後には、「分ち伝える」ということです。高校生や大学生の競技選手が、小学生や中学生にその競技の相手や指導補助を行っている姿を見かけ、その後の感想・競技やプレイ自体への新たな気付き等々を述べているのを耳にします。これが学習の最終段階かは、1つの仮説に過ぎません。でも、文化の継承・発展という観点からは「スポーツ教育」の基盤の1つであるあると考えられます。何もスポーツの教育・指導機関の指導者という形ではなく、多くの人々が親、地域住民、文化組織団体の実践者・関係者として世代を越えた関わりをもつと仮定されます。

日本国憲法の第25条にいう「健康で文化的な最低限度の生活」のレベルを保証することへの貢献や、生涯に渡るそれの実現が「教育」の大きな課題だと仮定すれば、冒頭紹介した、「スロー」ということはいくら強調されてもされ過ぎということはありません。運動(運動競技)は早く・上手く・強くなることに値打ちがあり、それを実現するのが「クラブ・練習、コーチング・指導者」だという具合に、(親・本人・指導者・社会風潮等から)一元的・効果効率化が求められていることが、昨今の「体罰・暴力問題」「部活・スポーツ離れ」を起こしている大元ではないかと、数々の識者から報告されています。運動学習の初期の段階をもっと「スローに」「多様に」「楽しく・継続」できるようにする意味ははかり知れないと思われます。そのことを田中先生のお話を聞いて強く感じました。ありがとうございました。

 

【善】

 

 

2013.03.02

4月からの授業に備えて

先日、国立スポーツ科学センターを訪問した際に、日本のスポーツ科学の発展を担う人材育成に関する話題になりました。とても内容の濃い話で、私自身、今後何をすべきか改めて考えさせられるとても良い機会になりました。

さて、3月に入り、次年度の授業開始まで約1ヶ月となりました。4月からはスポーツ健康科学部の学生に対して、「スポーツトレーニング論」と「エクササイズプログラミング論」を担当します。昨年も両授業を担当し、自分なりに授業内容を工夫はしましたが、改善の余地のある内容でした(あくまで自己評価です)。2月、3月の間に時間をかけて、じっくりと授業内容を練り直そうと考えていたのですが、相変わらずばたばたしているうちに、あっという間に3月になってしまいました。


ちなみに、1つ問題が・・・。「スポーツトレーニング論」と「エクササイズプログラミン グ論」、次年度は同じ曜日に開講です。多くの学生が両授業を受講していますので、授業展開を工夫しないと飽きられてしまうでしょう。。。いかにして、2 つの授業を連動させるか・・今朝は早朝から頭をひねっています。ただ、悩んでいるわけではなく、楽しみながらアイデアを出しています。私は、トレーニング科学分野の研究者としても勝負していますが、やはり一番大切にすべきものは普段の授業です。4月に向けて、しっかり準備したいと思います。

GOTO



2013.03.01

春の訪れと共に

 今年度も後一月ともなると寒い寒いといっていたのが嘘のように、今日(28日)は暖かく、陽光降り注ぐといってもよいくらいの日差しに誘われ、キャンパス内を歩き回りました。歩きながら、今年度はいったい何をしたんだろう、格段これといったこともなしえずに、講義回数を数えては溜息をつき、時には焦ったり・・・・といった思いばかりが浮かぶ中、でもその日その日なりにそれまでとは違った思いや出会いや経験があったはず、大きな飛躍や変化がなくともこのような日々の積み重ねこそが大事なのではと言いつくろったりしていました。

 就活中の3回生がこれまでの3年間を振り返り、様々な焦りの気持ちからか、この3年間何をしてきたんだろうと漫然?と過ごしてきた学生生活を悔やんでいました。本当に悔やまれるような生活だったのだろうか。直接的に間近な目標(しかるべき就職先)に結びつかなくとも、"日々の経験は必ずや意味をもつもの"(臨床心理的視点から)よく言われるように視点を換えれば人生には無駄なことは何もない。皆意味ある経験となるはず。まして若さという可能性に満ちた時間が沢山ある。もう時間が無い、後数日しかない、間に合わない・・・・もう駄目だ、と諦めてしまうのではなく、まずは行動しよう。今取りかからなければ、どんなに時間があっても何もできないよ、と自戒の意味を込めて久々にお説教?をしてしまいました。(老ブロガー・ハル)

2013.02.28

運動と健康についてのエビデンス(証拠)その8

 Hamaです。

 今回は、身体活動度と乳癌予防についてお話します。

 えっ??乳癌も運動によって予防できるの!?と思いましたか?
結論は急がないで、まずはデータを見て下さい。

 あと、男性は関係ないかもしれませんが、身近な女性のためにしばらくお付き合い下さい!

 31件の研究を調べたところ、6万4千人足らずの人が対象となりました。この論文の結果では、身体活動度が高いと、乳癌になる危険性が12%ほど低くなるようです。

 具体的には、余暇時間において1週間に10メッツ・時(1週間に4時間程度の普通の歩行)の活動量が増えるごとに乳癌の危険性が3%低下します。

 さらには、中等度から高強度の活動を週に2時間行いますと、乳癌の危険性が5%低下します。
みなさんの予想通り、乳癌も活動度を上げることによって予防できるわけです。

【参考文献】
Physical activity and risk of breast cancer: a meta-analysis of prospective studies.
Wu Y, Zhang D, Kang S. Breast Cancer Res Treat. 2013 Feb;137(3):869-82.


【Hama】


2013.02.27

上からの押し付けではなく。

おはようございます。ma34です。

先週、学校現場の先生方が集まり、お話する機会がありました。
そこで感じたことを今日は書きたいと思います。

私のサブ専門は英語科教育であるのですが、
英語科では、これまでも幾度と無く「教授法」と呼ばれるものが
欧米の理論から日本へ紹介されてきました。

大きく言えば、「コミュニケーション重視」の流れに移行しているといえますが、
その中には、種々の教授法・アプローチがはやり、廃れ・・・を繰り返しています。

学校現場の先生方は、研修や自分自身の勉強として、そういった新しい教授法・アプロ―チに目を向け、理解し、実践していくわけですが、
いかんせん、そうした教授法・アプローチが色々と登場してきては、また新たな「言葉」や「方法」が提示され、常に追いつかなければ!と急かされている、というそんな感じが見ていてあります。

例えば、今英語科で注目されるのが、「CAN DO リスト」と呼ばれるもの。
単元や授業の中で、到達すべき目標を明確にする、という目的で、
到達して欲しい子どもの姿を「~できる」という文言で書き出し、リスト化するということです。

では、このリストは、近年注目されている「パフォーマンス評価」とどう違うのでしょうか。
あるいは、2000年代に注目されてきた「タスク活動」とどう結びつくのでしょうか。
また、新たに登場してきた「Focus on Form」や「CLIL(Content and Language Integrated Learning)」は関係があるのでしょうか。

こうした問いを、現場の先生方は素朴に感じ、そして何より、
「求められている授業とは一体ぜんたい、どういうもの?」
「明日の授業に活かせることはどんなこと?」
「何を変えなくてはいけないの?」
と、混乱すらしてしまう事態なのではないかと思います。

英語科にかぎらず、新たな理論を紹介し、実践に結びつけるということが求められます。
しかし、こうした英語科の議論や実態を見ていると、
「今まで語られてきたもの」との共通性や相違点を明らかにすること、
その上で新たな考え方・方法がどのような意義をもつものであるのかを
まずは整理し、そして「共有」し、「納得する」ことを目指さねばならないと思います。

たんに新しい理論に飛びつき、それを紹介することで良しとしてはいけない、
かえって現場を混乱させてはならない、と自戒を込めて、感じたことでした。

ma34.

2013.02.26

2012年度の終わり

ふと気付くと、2012年度が終わるまで、
1か月ちょっとを残すのみ、となりました。

このブログの担当も、今回を含めて4~6回ぐらい。

前回担当した時よりも、1年が経つのが早い、
という気がしています。
確か前回は、学部ができる前で、
どんな学部になるのか、ということを発信していました。

今年度は、こんな学部、こんな研究、ということを発信していきました(はず)が、
自分自身の自転車操業ぶりがあって、
なかなかまとまって何かができなかったなぁ、と。





年々、ゆっくり物事を考える時間がなくなっていって、
目の前の事に反応する、という作業になりつつあるような・・・

まあ、そういうものかもしれませんが。

光陰矢のごとし、という言葉があります。
まさに、年々、そんな気分を実感しています。

ちょうど2月、3月では、次年度以降の実習先の開拓や、
連携の模索を多くやっています。
そのため、外の人と会う機会が多いなぁ、とも思っています。

実習先の開拓で考えるのは、
どちらにとってもプラスになるような形はないだろうか、
と言う事です。
学生が実習に行って、しっかりとした学びができ、
併せて先方にとっても何か得になる事がある、ということです。

それがメディアに出る可能性がある、ということもあれば、
学生に知ってもらうと言う事、
また社会還元の一環、と言う事、
など色んな場合があります。

ただ一つ言えるのは、お互いに誠意がなければ、
関係は成立しない、ということ。

そんなこんなで、また出張に行ってきます・・・

PS:2月・3月の出張先は、なぜか温泉地だらけ、となりました・・・
決して温泉を第一に考えているのではなく、
たまたま温泉地だった、ということなのですが・・・

2013.02.25

立命館慶祥高校

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なかなか春らしい日からは遠く感じられるBKCです。先週は、北海道へ行ってきました。江別市にある立命館慶祥高校で、お話しをさせてもらいました。当地は、まさに「雪国」で、訪問したときに、高校生が前の森林公園でクロスカントリースキーの実習中でした。立命館慶祥高校は、昨年スーパーサイエンスハイスクールに認定されました(立命館高校、立命館守山高校を含めて、附属校で3校も認定されています)。今回は、スーパーサイエンスコースの生徒を中心に、「スポーツと健康に関わる『科学技術』」について話題提供させてもらいました。科学技術のこれまでの進歩を柱にして、科学技術に関わる人材に求められる、「強い個性、独立心、自信、粘り強いチャレンジ精神」などを話させてもらいました。好奇心溢れるキラキラした生徒さんの眼をみて、将来を楽しみになりました。『未来を拓く人』になってくれるでしょう。

<今週のちょっと、もっと、ほっとな話>>

久しぶりにカメラ屋さんをのぞいたらネガフィルムで撮影するカメラが売ってなく、ネガの現像も扱っていない様子に驚きました。テクノロジーの進展は、古いテクノロジーを博物館へ追いやるのでしょう。

【忠】

 


 

2013.02.24

WBC、いよいよ始まる

昨日、久々にテレビで野球観戦しました。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)大会の強化試合の1つで、全日本対オーストラリア戦でした。本戦ではないのでゲームは平凡、日本チームの投手陣の力量が相変わらず素晴らしいとの印象でした。

 直接野球に関係しない私でも少しの関心を示すように、野球は、我が国で最も普及している(する、観る、関わる・支える、人びとと組織および財政規模からみて)スポーツです。したがって(特に我が国における)スポーツがもっている、良い・悪いところ、進んだ・遅れたところを、過去・現在・先々を通して私たちが考えてみる際には、多くの材料を提供してくれます。

 本大会に先立つこと数カ月前、NPB選手会が「日本および日本チームへの収益配分等に関する大会主催者の不公平な取り扱い」に抗議して、第3回大会への不参加を意思表示し、主催者に対する毅然とした交渉をNPBに要求する、という事案がありました。不参加自体に対する賛否は分かれましたが、選手会の提案内容の正当性とNPBの動きの鈍さとに対しては、多くの人々に意見の一致がみられました。

 WBCは「野球の世界一を決定する、国別対抗戦」ですが、他競技の世界選手権やワールドカップと決定的に違うのは、国際野球連盟(国際的に競技を統括する団体)が開くのではなく、大リーグ機構(MLB)とMLB選手会が主催している点です。その開催趣旨には「競技の国際的な普及」が謳われて他と同じようですが、普及の現状からみれば「極めていびつ」です。今大会も南・北・中米地域、東アジア地域を中心にオーストラリア・イタリア・スペインを加えて16ヶ国位です。野球競技は、米国の大リーグ機構(MLB)においては成功したビジネスモデルを提供していますが、それ以外特に欧州とアフリカ・中東地域では思うように普及が進んでいません。

 MLBのもつ「ミッション」と「ビズネスモデル」とのバランスのとれた思考を背景に、野球ならまだ何とか引き出せる「ジャパン・マネー」を当て込んで、野球を一層普及させたい、というのが現行WBCなのかも知れません。誤解を恐れずに言えば、国際野球連盟(IF)などに任せておくと後者のバランスを失する、ということだと私は理解しています。

 

 再度国内に戻れば、NPBはまさに現在のIFのように映ります。野球に関して世界を統治する最高の機関ですが、野球の文化とビジネスで「産み、育て、育って自立した」巨人によって、その家を思うように牛耳られている姿を想像してしまいます。

 この大会に先立ち、発表されている次のニュースも重大事です。それは、プロ野球公式記録配信の危機という、次のことです。〔日本野球機構(NPB)は去る7日、プロ野球公式記録配信システム「BIS」を作動させられないことが判明したため、1718日の日本代表チーム・侍ジャパンと広島、西武との間で行われる強化試合および23日から始まるオープン戦は記録を配信しないと発表した。3月29日に始まる公式戦から記録を配信するとしている。〕

1988年、大手コンピュータ会社・日本IBMと大手広告代理店・電通の提案により、それまでスコアシートなど紙で管理されていた日本プロ野球の記録を「IBM-BIS」(BISとは、ベースボール・インフォメーション・システムの略)として運用を続けていました。このシステムのデータおよびその配信・運用をビジネスチャンスにしようとするメディア・通信会社のいくつかと他の会社との争奪戦の統御方法を誤ってしまった、ということなのです。要するに、次のデータコントロールの見通しをつけずに、電通等との契約を打ち切る運びになった状態だというのです。

データはまず公式記録によって生み出され、その公式記録はそれまでの野球とこれからの野球をつなぐ意味をもっています。野球をする・みる・支える、のどこからみても指示を受けるモノである必要があります。する、みる、支えるという3つの輪を重ね結びつける環、それが公式記録で、野球文化の要とも言えるものです。

そのデータの管理や運用は、NPBリーグ傘下の球団や選手・コーチ・スタッフの行動の指針でもあり、普及・発展の要でもあります。文化のミッションとビジネスモデルのバランスのとれた思考を提示し、重要コンテンツの一つぐらいにしか考えないメディア・カンパニーのいくつかの議論に任せておくには、余りにもスポーツ関係者のもっている叡智が軽く扱われているな、と私はつくづく感じます。

野球だけでなく、次のことに様々な水準があることは自明です。「スポーツ関係(する、みる、支える)者による、スポーツのための、スポーツの大会」とはいかにあるべきか、すなわちスポーツ大会の「ミッションとビジネス」を見極めるには、スポーツファンの教養のレベルが問われている、ように私には思えます。

 

【善】

 

 

2013.02.23

論文の執筆

修士論文(大学院)の審査も終わり、学内はひっそりした状態です。この状態があと1ヶ月ほど続き、3月末になるとキャンパスは再び賑わいを取り戻します。

授業のない2月〜3月にかけて、教員は比較的時間(余裕)があるため調査や研究のために学外に出張をしたり、実験の実施、論文執筆など授業期間中には十分に時間を取れないことに専念することが可能です。私も3月末までは依頼原稿や本の執筆の仕事が既に詰まっていますが、特に、学生の論文指導に普段以上に力を入れています。

大学院・スポーツ健康科学研究科では修士課程2回生が修士論文を既に書き終えていますが、一部の院生は修了する3月末までの間に、修士論文の内容を投稿論文として学術雑誌に投稿しよう!と作業をしています。修士課程を修了する上で論文投稿は必須の要件ではありません。一方、どれだけ優れた研究を行っても学位論文のみだけでは、研究内容や研究の結果明らかになった知見を共有できる人は限られています。また、学会発表を行っても、その情報を共有するのは学会に参加をして、その会場にいらっしゃった方々のみに限定されます。したがって、研究成果を広く、世界中に知ってもらうためには論文として学術雑誌に掲載することが非常に重要になります。なぜなら、多くの学術雑誌は掲載された論文をオンラインで公開していますので、多くの方々が研究の内容を知ることができるからです。

私の研究室で先日、修士論文を提出した2名の大学院生にも、「提出後一息ついたら(一息の定義は人それぞれでしょうが、私の感覚では2日程度の休息・・)、すぐに投稿論文の執筆に取りかかりましょうね」と優しく伝えています。初稿を私に提出するデッドラインは3/31、これから1ヶ月間集中して、何とか書き上げてくれることを期待しています。

GOTO