[ 2025年05月 ] の記事一覧

2013.02.22

考える・・・・

新年となってから、早二ヶ月が経とうとしています。今の時期、学生は学年末試験を終え、キャンパス内は1年のうちでもっとも静かな時期となっています。教職員にとっては今しかないと黙々?と新学期の準備に余念がない頃でもあります。特に学生達は、春期休業中に将来の夢の実現に向け、積極的に学内外の活動に参加しているように見受けられます。しかし、この1年間にどんな進歩があったか、年度当初の目標と照らし考えて見ることが必要かと思います。

パスカルでしたか、「人間は考える葦である」言い、人間も一人一人は葦のように弱い存在であるが、考えることができ、この考えることから素晴らしい文化を創り上げ、発展してきたと半世紀前に教わりましたが、インターネットの普及で、人間の持っている能力の中でこの「考える力」が益々強く求められるようになってきているように思われます。知識をストックし、分類し、必要に応じて引き出すといった記憶力の価値は、パソコンを立ち上げ、インターネット・ツールを活用することで、あたかも体外にもう一つの"脳"を持つことによって急速に低下したように思われます。では、考える力はどのようにしたら育つのか、心理学的には、それは"こだわりと向上心"にあるといわれています。このどちらも、ものわかりがよく、充たされると低下していくものでもあります。今一度ハングリー精神をと言いたくなりますが、一方では「今のあなたでいい」といった臨床心理学の知見もあることを付け加えておきます。(老ブロガー・ハル)

2013.02.21

運動と健康についてのエビデンス(証拠)その7

 Hamaです。
 まだまだ寒い日が続いていますが、最近あまり動いていない人は、なんとか工夫をして体を動かしましょう!

 今回は、身体活動と肺癌予防との関係についてお話しをします。

 実は肺疾患(肺炎)については、今日(こんにち)においてはとても重要な疾患となっています。

 これまで日本人の死因は、第1位が癌、第2位が心疾患、第3位が脳卒中でした。
しかし、平成23年の最新のデータでは、第3位に肺炎が入ってきました。これまでの日本の三大死因に変動が起きたわけです。もちろん肺癌と肺炎は異なる病気ですし、肺炎による死亡が増加した原因には、高齢者の誤嚥(ごえん:食べ物が気管に入ってしまう)性肺炎が増えたからだと考えられています。

 肺癌の話しに戻ります。14件の前向き研究において、160万人余りの対象者が調査され、1万4千人余りが肺癌を発症しました。
 その中で身体活動度の低い人達に較べて、身体活動度が高い人は、肺癌になるリスクが約30%減少し、身体活動度が中等度の人でも、そのリスクが10%程度減少することが判明しました。

 この結果は、男女ともに当てはまりました。

 ここでも、活動度が高いと肺癌になる可能性が低くなることが考えられるわけですね。

【参考文献】
Physical activity and risk of lung cancer: a meta-analysis of prospective cohort studies.
Sun JY, Shi L, Gao XD, Xu SF. Asian Pac J Cancer Prev. 2012;13(7):3143-7.


【今週の1 shot!!】
何に見えますか??
ran.jpg



















【Hama】



2013.02.20

技能の習得と技能の指導‐わが子と接しながらー

こんにちは。ma34です。
あっという間に水曜日、またブログが回ってきます。
授業が終わり、すこしまとまって時間が取れるようになりましたが、
来週からのアメリカ出張、その前にもろもろの発表資料づくりなどに追われる毎日です。

さて。
今日はわが子との毎日で改めて考える、学習科学論・インストラクショナルデザイン論。
「技能の習得」と「指導」について。

というと固く聞こえますが、全然そんなことはありません。
日常にあふれる場面で考えます。

長いので、続きは「続き」をクリック↓



人は、一旦技能を習得してしまうと、それまでの苦労や、そもそも「できなかったこと」を
忘れてしまうという特徴があります。
たとえば、自転車にひとたび乗れてしまうと、それまで自転車に乗れなかった感覚や
難しいと感じていることがどういうことだったかを、思い出せなくなるのです。

この点が、技能を「指導する」側の人にとってはもっとも難しい点です。

 ma34家で繰り広げられているのは、
たとえば、長女(3)のお箸の持ち方。

技能の指導では、一度に難しい課題を与えるのではなく、
その技能を細かな小さなステップに分けて、一つ一つ与え、そのステップが出来たか・出来なかったかのフィードバックを返し(別に大げさに褒めなくても良い)、だんだんとステップをあげていきます。

箸を自動的に使えている私にとっては、一つ一つのステップは小さすぎるように感じますし、
そこでつまずかれたり、「できひーん」といわれると、
「何でこんな簡単なことができひんねん!」と思ってしまうのです。

(器が小さい!という指摘はごもっともです)

そう思うけれども、もちろんなるべく(いや、絶対)口には出さず、
さらに小さなステップに分けたり、やり方を少し変えてみたり、工夫をしなければいけません。

インストラクショナルデザイン論では、「課題分析」を行って、
たとえば「ペットボトルの水をコップに移して飲む」という動作をできるだけ細かいステップに分け、
自分が「自動化」できてしまっているステップを意識し、
またはじめてやる人や困難に感じる人にとってはどのステップでつまずきやすいか、などを
意識化する作業をやりました。

日常生活でも、誰かに何かを教えるとき、自分では自動的に難なく出来てしまっていることを教えることはとても難しいのです。
何でちゃんと教えているのにできないんだろう!と思いますが、それは教え方、伝え方が不十分だからです。

こういう「指導」が毎日にあふれています。
時計の読み方やボタンのはめ方、靴下の履き方などなど...。
大変な部分もありますが、うまく伝えられてできるようになった瞬間はとてもうれしいものです。

親というのは大変だ・・・ということをお伝えしたいのではなかったですね。
学習科学論やインストラクショナルデザイン論で学ぶことは、こうした日常的にあふれている「教える場面」にもしっかりと使えるのです。

そんなことを考える、最近です。

追伸: 来週の水曜日はアメリカ・アリゾナ州に滞在中の予定。
私の研究対象(アメリカのWhole Languageというアプローチ)の第一人者といわれる研究者にお会いしたり、アメリカの学校現場を訪れる予定です。 
 更新出来るか心配なので、その次の週に報告になりそうです。

ma34.

2013.02.19

マーケティング

私の専門は、マーケティングですが、
ふと最近、やっぱり実践と一体化されたものだな、
と考えています。

マーケティング・マインドというものが言われ始めて、
はや半世紀ぐらいが経ちます。
ただ、組織が大きくなればなるほどねぇ、と思う今日この頃。

そしてまた、お客さんと距離が離れれば離れるほどねぇ、
と思ったり。

行政組織は、「お役所仕事」という言葉に代表されるように、
高度に分業化されて、隣は何するものぞ、というところもありますが、
「住民のため」という意識を持ち直せれば、
それで良いのかなぁ、とも思います。




そんなこんなで色々思うのですが、
マーケティングそのものは、広告やマーケティング・リサーチ、
とよく混同されます。

リサーチは、消費者の事を知るための手段に過ぎず、
広告はマーケティングの機能の一部です。

最近は、「Bond」や「Relation」がマーケティングの流行り?ですが、
どちらも人とのつながりを示す言葉なのが、
つながりやすい世の中を表しているのかなぁ、
とも思ったりします。

口コミ(Buzz)マーケティングが一時期はやりましたが、
人から人に伝える、伝わる力、というものが、
先進国では非常に強くなっていますし、
グラミン銀行に代表されるマイクロクレジットのように、
人とのつながりを基にした社会変革も行われつつあります。

人とのつながりを基に社会変革を起こすようなMovementを作っていく、
こんなことが、今後求められるのだろうなぁ、と思いつつ、
何もアイデアが湧いてこない今日この頃でした・・・

ではでは。

PS:先日ゼミ生が飲み会をしましたが、バタバタし過ぎて行けませんでした・・・
なので、新ネタが入っていません・・・そもそも日程を決めて実行まで、期間が短いって・・・
そういや、そろそろ研究室を片付けようっと。
これが春の一番の自分自身に課す課題だな・・・

2013.02.18

他大学交流

先週の火曜日に、当方の3回生ゼミ生と次年度ゼミ生となる2回生の合同チームで、早稲田大学矢内研究室に訪問し交流させてもらいました。学部生と始めて学外へ出かけての研究交流でしたが、事前にゼミ生の担当者のKズミ君が先方の学生さんと企画を十分に検討してくれていたので、所沢キャンパスの施設見学、相互の研究発表、グループワーク、懇親会と盛りだくさんの内容でしたが非常にスムーズかつ有意義な交流ができました。同世代で同じ分野を学ぶ者同士、意気投合するところ、お互いを刺激しあうところ、気づきを与えもらうところ、などなど濃厚な1日を過ごせました。今度は、矢内ゼミの皆さんにお越し頂いて引き続き交流を続けたいとゼミ生も願っているところです。

 翌日の水曜日は、私は仕事のため同行できませんでしたがJISSの袴田先生にお世話になり、JISS NTSの施設紹介をしてもらい、国内のトップ選手の強化拠点とスポーツ科学のサポートに触れて大いに盛り上がったようです。近い将来、こちらでお世話になる、あるいはお世話する、選手、研究者が誕生するのを楽しみにしています。

<<今週のちょっと、もっと、ほっとな話>>

上記の交流を得て、ゼミ生が成長するきっかけを得たように感じました。やはり時には学外で交流することで、自らの学びの再確認し、課題をみつけ、今後の方向性を得られるようです。次にあったときのゼミ生の成長した顔をみるのがが楽しみです。

【忠】




2013.02.17

お百姓さんの物の見方・考え方

本日の早朝、雪で地上がうっすらと斑なだけでなく、水たまりが完全に凍っていました。久しぶりに自宅近くをウォーキング。目に入った田園風景は、実り盛んな時期に比べると様相が全く異なっていました。既に荒々しく掘り起こされている土に加え、畑の多くには、引き抜かれ切り落とされた野菜とその枝葉、すなわちカブラ、人参、大根、白菜、等々の残骸が、白、クリーム、茶色のマーブル状の異様な姿に映りました。

 本来なら籠に収穫され、箱詰めの後にそれらは出荷されるはずでした。成長の不揃い、土中の石などによる曲がり、支柱や柵、日当たりなどによる傷と変色、などが原因です。規格に合わなくて商品としての価値がない、「難もの、キズもの」としばしば呼ばれます。私たち素人からすれば、それらは立派な作物です。サラダ、煮物、鍋などの最適材料(新鮮さ、味、栄養、大きさ等)だと感じます。でもプロのお百姓さんに言わせれば、それらの事情は全く違うのだそうです。

 それぞれの野菜としては同じでも、その基本に加えて「規格適合性とみばえ」が価値(ブランド)を創り出し、価格を維持します。そしてそれらの規格外品は価値を下げ、値崩れを起こす害悪とみられます。従って、良い種子を見極め入手し、床土を準備、施肥、種蒔きと発芽誘発、苗育てとその後の生育の世話、それに収穫までの過程で、いかに満足のいく(規格品としてブランドを維持する)収穫率を上げるのかが、プロの課題・プロたる所以だそうです。言われてみれば当然のことですが、そのおかげで丸々と太った野菜をタダで頂くこともしばしばですが・・・。

 

 プロのお百姓さんや年輩の素人百姓の人達とたまに談笑しますが、異口同音に次のように言います。「同じように耕し施肥した畝に、同じような種を、同じように蒔いて、水のやり方も世話の仕方も同じようにしたつもり」でも、毎年、「生育の良い時もあれば悪い時も、また同じ畝でさえも良く伸びるのとそうでないのが現れる」のだそうです。

 何でも自分の専門の勉強や実践に結びつけて物を言うのも恐縮ですが、野菜(植物全般でも)を育てることは、スポーツの選手を育てたり、職人さんを育てたりする、相対的に長期の「支える活動」(指導やコーチング)に似ています。

 

 どのような種子・苗も世話をしなければ確実にマイナスの影響が必ず現れます。けれども、たとえ世話を懸命に(最大限の情熱をもって)行っても、同じ効果が全ての種子・苗に現れないし、同じ畝・土の範囲でも異なります。育ちが悪い・遅いからといって性急に肥料をやり過ぎれば、根元から肥料負けを起こして枯れていきます。だから、必要だとわかっていても肥料の与え方に「気長さ」と「毎回手続き更新」のような工夫が要求されます。少し大きくなれば株分けして、それぞれが縦と横に伸びられるように根元から独立させてやります。さらに、同じ畝や鉢にずっと植えておくのでなく、古い土や床から新しいところに場所を変えてやり、吸収すべき周囲環境の養分に対する適応力を引き出していくことが行われます。

 

 人間の運動の学習を指導したり支援したりする営みは、動物を育てたり芸を仕込む・仕付けるのと同じように考えられてきた気がします。運動学習の研究の一部は確かに動物を被験体とする運動学習の研究から導かれているし、動物調教のいくつかの方法にすでに具体化されています。しかし、指導や調教の中間過程や結果として生じた「規格外、ブランド価値を高めない」人、コト、ものに対しては、お百姓さんの野菜作りの「結果処理」と同じようになってしまっているような気がします。しかし一方では、育てる側(お百姓さんやコーチ・指導者・調教師など)の仕事内容、個人としての喜びや楽しみ、やり甲斐等が共通に語られることも、重要な点です。

 農業の方が「等結果」をもたらすべく「毎年、工夫する」ことが当たり前だが、なかなかそうはならないことが常識になっている、と思われます。相手にするのが植物だからというだけではない、と私は感じます。場所や施肥、水分、日照など環境要因を緩やかに変え、評価スパンを長めに見ている、と思われます。「人間の運動の学習を指導したり支援したりする営み」を対象に研究するという立場で現在欠けている観点は、このことがらではないかと私は思います。

 

【善】

 

 

2013.02.16

修士論文の公聴会が開催されました

 大学院の修士課程(博士課程前期)では、2年間の学びの集大成として修士論文を作成します。この修士論文、1週間や2週間で完成するものではなく、まず実験や調査を行い、それらを分析し、数ヶ月かけて論文の形にまとめる一つの作品です。

今週の木曜日・金曜日には、今年度末での修了を目指す修士2回生が全教員の前でプレゼンテーションを行う「公聴会」が開催されました。発表時間は12分、ボリュームたっぷりの修士論文の内容を発表するには若干時間の足りない院生もいましたが、2年間の学びの成果が充分に発揮されていたと思います。また、印象的だったのが、多くの院生がプレゼンテーションの最後に謝辞のスライドを設けて、指導を受けた先生方や研究遂行に協力をしてくれた仲間に対する感謝の気持ちを述べたことです。大半の学生は学部卒業後に就職する中で、大学院に進学をして研究を行うためには自身の強い意志力に加え、周りの理解・協力・応援が必要です。修士論文を提出した今、これまで自分を支えてくれた方々への感謝の気持ちが素直に出ていたのでしょう。とても良い光景でした。

修士論文を提出した院生
の皆さん、お疲れ様でした。

 

GOTO

2013.02.15

春は名のみの・・・・

 とうに立春は過ぎたのに、毎朝、寒い、冷たい、冷えると口癖のようにいっているうちに、今日の日差しは春近しを思わせる陽気になりました。キャンパス内を走っていると桜の木の蕾の膨らみに、春の予感を感じさせられます。

 最近キャンパス内で学内企業説明会が開かれているのを目にします。この光景を見る度に、さすが伝統ある立命館大学を実感します。これまで在職した大学では、企業が大学に説明に来てくれる(それも大企業が)などということはあり得なかったことでした。学生はこの意味(企業から期待されている大学の学生であること)を十分に理解しているのだろうかと思ったりしています。自信とプライドを自己の行動の原動力にして欲しいと願っています。

人生は絶え間ない選択の連続と言われます。当然、自分が積極的に選んだにせよ不本意な境遇というか状況に置かれることはよくあることです。自分のために世の中があるわけではないのですから。そんな場合、過去の選択を悔やまず、今ここでできること坦々と(淡々でしょうか?)続けているうちに、状況認知が全く別世界のようにガラッと変わってしまうような面白さや、自分自身気がつかなかった能力を発見することができ、生きがいとなってくることがあります。適性は探すものではなく、創るもの。(老ブロガー・ハル)

2013.02.14

運動と健康についてのエビデンス(証拠)その6

 Hamaです。
 今回は、体を動かしていると、循環器系疾患になりにくいというデータの中でも、
特に脳血管の予防効果について、お話します。

 今回紹介するのは、23件の研究を分析した、いわゆるメタアナリシスのデータをお示しします。

 活動的な人、もしくは体力のある人は、活動的でない人よりも25%から64%程度、
脳卒中の発症率や死亡率が低下することが分かりました。

 脳卒中には、出血性タイプの脳出血及びくも膜下出血と虚血性タイプの脳梗塞がありますが、
身体活動は、どちらのタイプのものも、危険性を低下させるようです。
身体活動は、高強度でなくても中程度でも効果があるようです。

 脳卒中は、やはり生活習慣と関連しますので、食事面では、カロリーオーバー、
塩分の取り過ぎ、脂肪の取り過ぎ、喫煙、過労やストレス過剰にならないようにすることは必要です。

 また、脳梗塞の予防には、脱水にならないことも大切なので、十分な水分補給にも
気を付けて下さい。

【参考文献】
 Physical activity and stroke risk: a meta-analysis. Lee CD, Folsom AR, Blair SN. Stroke. 2003 Oct;34(10):2475-81.




2013.02.13

小学校外国語活動の全国的な研究会に参加しました。

おはようございます。ma34です。

 

先週の金曜日、土曜日と、京都市で開かれた全国小学校英語活動実践研究大会に行って来ました。金曜日は公開授業の参観、土曜日は全体会(文科省の教科調査官による講演)、分科会と、大変充実した会でした。

 

小学校外国語活動は、小学校5年生・6年生で週一時間(年35時間)、平成23年度より行われています。今年は2年目となり、改めて「小学校」だからこその「外国語活動」の位置づけを考える内容となっていました。

 

中学校以降の英語教育につながる縦のつながり、そして小学校教育の一環としての横のつながりを持つ外国語活動。ただ英語のリスニング力、スピーキング力を育成するということが目的なのではなく、「コミュニケーションって楽しい」「私と違う考えもあるのだ、もっと知りたい」「もっと伝えあいたい」という思いを高める、「コミュニケーション能力の素地」を身につけることこそが目的だと言われています。

 

私自身は、とくに小学校・中学校をつなぐ入門期のカリキュラムにおいて、つまずきが多くなる英語の文字指導をどのように取り入れていくかを常々考えておりますが、どうしても「教える」「指導」という面に意識が向きがちです。けれども、今回の研究会を通して、

 

1.子どもたちのコミュニケーションの必然性の中で文字指導(「書くこと」の指導)を位置づけること

(たいてい「書くこと」は必然的な目的をもった活動と結びつかず、ドリル的な位置づけが多いのですが、たとえばALTにメッセージカードを送ろうという目的を持った活動であれば、子どもも書く内容にこだわり、文字にもこだわるようになります)

2.teachable moment (学習者が学びたいと思うその瞬間=その瞬間こそ指導の絶好の機会)を意識すること

が重要だと学びました。これは教育においてすべてに当てはまるかとも思います。

 

そして、小学校の授業を拝見すると毎回思うことですが、やはり小学校の先生方は、子どもの興味関心を掴んだ教材開発、そして指導言(発問や指示など)が秀逸です。大学生を対象とした授業でも参考になる工夫が多く見られます。そのようなところも、今後も引き続き大いに学んでいきたいと思いました。教員を目指している学生さんは、ぜひ小学校現場で先生方のそうした工夫に注目してみてくださいね。

 

Ma34.