11月3、4の両日はBKC学園祭です。2日金曜の遅い午後から、テント、舞台、建物内部展示場等の設営準備がなされていました。セントラル・サーカスの噴水横辺りがメイン舞台となる様子。建物アドセミとアクロスの間にもロックバンド用の演奏舞台。セントラルアーク中央の通り沿いとメイン舞台を大きく取り囲むように、出店が多く並ぶと予想されます。
理工学部のコア・ステーションへ向かう途中、メイン舞台を通り過ぎたメディア・センター正面やや右手に、もう1つの小さな舞台が目に入りました。高さ1m弱の舞台表面には白いマット、4スミには白い縦棒状マットとコーナーポストがあり、4段ロープで1m数十cmの高さまで、舞台上は周囲をぐるりと囲まれていました。知る人ぞ知る、それはプロレス・リングマットでした。
明日からの「興行」に向けて設営が完了したらしく、関係する学生達が何名か残っていました。そのうちの一人がこちらに向かって手を振ります。足を止めてその光景を見ているのは、私以外には誰もいません。私への合図だと確信して目を凝らすと、何と教養科目を受講している学生の一人でした。彼はプロレス同好会に所属する2回生です。方法実習「エクササイズ・トレーニング」の時間に会話を交わし、彼が所属サークルを紹介してくれたことがありました。その時とっさに私は、「村松友視著『私、プロレスの味方です』角川文庫、1981年と、同『当然、プロレスの味方です』同、1982年、を読みましたか?」と聞きました。著者も文庫本も古いので、彼はすぐには何のことなのかさっぱり、という表情でした。ひと月ぐらい前に彼に内容紹介し、珍しくも力を込めて勧めたことを、今回のリング発見で、私は鮮明に思い出しました。そういえば十数年以上も前から、学生の間にはこの種の同好会があり、学園祭の時には大学間を越えて交流興行を行っていました。(写真は準備完了のプロレスリングと村松文庫本2冊の表紙です。)
プロレスは、家にテレビが入ってきたのと並行して私に接近接触するようになりました。力道山の名前は子どもの間で有名でした。銀髪鬼F.ブラッシーの噛みつき反則や覆面男Mr.アトミックの凶器頭突きに耐え忍んだ後に力道が空手チョップによる猛反撃を行い、人びとが溜飲を下げる光景は、大人と子供の区別なく大拍手が起こりました。子ども時代を通り大学生の頃には、アントニオ猪木やジャイアント馬場のような有名な選手が数々の興行や大会を行い、私も時折その報道に注目し、実際試合場にも行きました。
二人組同士で戦うタッグ・マッチでは、日本組の一人が相手コーナー近くで孤立し二人掛りの攻めを受け続ける(反則が横行する)場面に観客も腹を立て、ヒーローも堪忍袋の緒を切る、というテレビ・映画のストーリーと同様のことが継承されていました。他方では、決め技・痛め技が多彩、派手、パワーアップすることが顕著でした。リングの4段ロープも跳ね返しだけでなく、飛び降り攻撃の威力を倍増するために使われ、「空中殺法」という呼び名が、翌朝スポーツ新聞の三面を飾ったこともしばしばでした。
それでも、伝統的なスポーツに関係する人達からは、「あんな八百長、本気でやったらそんなのでは済まんぜ!!」と、胡散臭さが常に付きまとっていました。あれは「ショー」で、平等なルールの下で公正に競争して勝敗を決する真のスポーツとは、反対の極にある、という人もいました。けれども他方では、相手の技や攻撃を受けるために肉体を鍛えて準備することや、決め技、攻め技を繰り出すために筋肉系と呼吸循環系、それに神経系を鍛錬することは、プロスポーツ選手と同等以上のものを実感させました。
さすがに学生時代を過ぎてプロレス熱は冷めましたが、教員になってからしばらくして先の村松氏の文庫本が出版されました。彼は力道山とシャープ兄弟の対決から始まる我が国プロレス界の変遷を振り返り、それが全体としては「興行」「ショー・ビジネス」であることを認めながらも、そのコンテンツの捉え方、築き方のなかにこそプロレスの真髄を見出そうとしていました。教えられたことは沢山あります。プロレスの真髄は自分の強さや凄さをみせることです。攻める技や決め技は重要ですが、最重要は「受け」にある、と彼は言います。相手の凄い技を受ける、相手の凄さや強さを引き出すことで、その凄くて強い者をさらに打ち負かして、自分の凄さを逆にアッピールする。これが、ストロング・スタイルのプロレスのストーリーの根底にある、と彼は分析的に述べています。
悪玉と善玉の対決、不平等とエコ贔屓それにしたい放題に対する堪忍袋の緒を切るスタイルは古いタイプの1つです。それに加えたストロング・スタイルで胡散臭さを数歩乗り越え、「スポーツ・ショー」としての楽しみ方が開発されたのか否かは、まだ明確ではありません。様々な意味で身体および身体運動を加工・開発する人びとの営みが、観る人びとの間に多様な解釈を生み出す過程が「スポーツにおける文化的認識」にとっては重要です。これらを他の分野(村松は作家、エッセイイスト)の人々がいかに考察、描いているかを参考にすることが1つのポイントだ、と私は感じています。
【善】