2018.03.15
[ education ] の記事一覧
2018.03.10
だれもが、いつでも、どこでもスポーツを
標題は奈良県のスポーツ振興の為のキャッチフレーズの一つですが、活き活きと安心して健やかに暮らせる健康長寿奈良県をめざし、スポーツによって生活をより充実したものとすることをねらったものです。その施策の一つに、“子どもを健やかに育むスポーツの推進“があげられています。
先日、その展開事業の一つとして、暖かな初春の陽を浴びて県内39の市町村対抗子ども駅伝大会(参加資格;県内在住5~6年生男女児童)が橿原運動公園で開催されました(写真)。大会の運営には、橿原高校をはじめとする地元の多数の高校生がボランティアとして参加してくれ、大いに盛り上げてくれました。選手達が男女チーム一丸となって襷をつないでいく姿は真剣そのもので感動を覚えるものでしたし、その日の活躍は小学時代の想い出となる大会になったのではないかと思います。
2018.03.09
カイ二乗検定について卒論生にたまに聞かれたので忘備録
2018.03.03
弥生三月
ここ数日穏やかな早春の陽光に誘われ、昼食後キャンパス内を散策しながら、枯れた芝生の間から名も知らない緑の野草の芽吹きに春の気配を感じています。3月に入る頃には高校生の卒業式がほぼ終わるせいか、いつもの通勤電車で会う高校生の数も少なくなり、代わりに真新しい黒い鞄を持ったリクルートスーツ姿の大学生が、会社説明会に出席のためか、スマホの操作をしている光景を見かけるようになりました。
先日閉会したピョンチャン・冬季オリンピックで魅せた選手の活躍の余韻がまだ続いていますが、我々の世代では冬季オリンピックというと47年前に開催された札幌オリンピックでの、“日の丸飛行隊”と呼ばれた笠谷、金野、青地の3選手が70メートル級ジャンプで金、銀、銅のメダルを独占し、3本の日の丸が掲揚された場面が今なお鮮明に思い出されます。また、この大会は、アマチュアリズムの権化ともいわれた当時のIOC会長(アベリー・ブランデージ)と、FIS(国際スキー連盟)をはじめとする競技力向上のために商業化を推進するグループとの対立が明らかになった点でも、体育史的には今日の商業化への分岐点になった大会とも言えるのではないか思います。多くの世界大会への出場、競技力の向上には多額の費用を必要とすることは明白であり、スポーツの発展は一人スポーツ界の発展・興隆だけでなく、社会経済的な発展、社会環境の豊かさにもつながることは、スポーツ関連産業数兆円と言われていることからも明らかです。原理主義的な狭いアマチュアリズムでは、スポーツはごく一部の特権的な階層(ステート・アマも含め)のみで行われ、今日のような発展は望めなかったのではないかと思います。
まだ、少なくなったとはいえ遠くの山々は雪を頂いており、時折冷たい風が通り抜ける中、学内では、多くのクラブが来シーズンの活躍に向けて本格的な練習が始まっています(写真)。毎年繰り返される光景とはいえ、人は入れ替わり、また、昨日と違う自分の取り組みを実感しつつ日々の練習に励む姿には、一つの区切りと新たな挑戦に向けた元気がもらえます。(老ブロガー・ハル)
2018.03.02
日本語ムズカシイネー
2018.02.24
選手であること
19日突然lineでスタンプに添えて「先生感動しました。国同士もあのようであって欲しい」と韓国にいる教え子(M,Dを取得した留学生)からメッセージが届きました。スピードスケート500m終了後の小平選手が、三連覇の期待に応えられず涙を流す季選手を抱きかかえ、お互いの健闘を讃え合ったあの感動的な場面についての感想でした。昨年、スペインでの国際スポーツ心理学会で数年ぶりに会い、その時lineの設定をし、それ以後の初めてのメールでしたから一層うれしさが募りました。
よくスポーツでは“勝ったときは皆がおめでとうと言ってくれるからほっておいてもよい。負けたときが大事なんだ。負けたときに本当の友達がわかる”と、人としての本当の接し方について説かれます。小平選手が季選手にとった行動はまさにこの一言につきるのではないかと思っています。季選手に、「たくさんのプレッシャーの中でよくやったね、と伝えました。リスペクトしているよと伝えました」と。小平選手のその場に相応しい心のこもった言葉かけは、目標達成を目指し、強い自己規制と孤独感、不安、恐怖、時には劣等感などのプレッシャーと絶えず闘いそれを克服する為に人知れぬ努力成し遂げた人にのみ、お互いの心に深く通い合うのかもしれません。また、その姿に我々は感動します。
スポーツは、本人の努力と才能によって確かに上に行くことができる世界であるかもしれませんが、物心両面でも多くの人達の支えがあって達成できるものであります。選手が述べる感謝の言葉にはその事が語られ、改めて学生生活、社会生活を営みながら選手を続ける上で、一人では越えることができないことが周囲の人達の理解と支えによって克服できることを教えてくれています。先日、部長をしているヨット部の4回生の追いコンがありました(写真)。板子一枚下は○○と言われますが、時には厳しい自然環境の中、風を読み、潮の流れを判断し、力を合わせて努力することの4年間。お疲れ様!よくやり通しました!費用のかかる種目かと思いますが、彼等は口々に、学生選手を続けることができたことに大学とOB会に感謝の言葉を述べていました。(老ブロガー・ハル)
2018.02.17
2017年度体育会歓送会
2017年度立命館大学体育会歓送会が、体育会本部と立命館スポーツフェローの共催でグランヴィア京都で開催されました。59の体育会公認クラブをはじめ、同好会、登録団体等々の参加者は、改めて入学以来4年間、勉学との両立に苦労しつつ共に汗し、励まし、学びあい、時には衝突し、悔しい思いもしながらも共に喜び合った日々などが思い起こされたのではないかと思います。また、現役部員の活動を支え、活躍を我が事のように喜び、讃え合い、感動を共有できる幸せを学園の発展に繋げていくスポーツフェロー・校友や学園関係者の思いの強さにはいつも感激しています。本学で学び、輝かしい戦績とそこで培われた、協力・勤勉・克己・公共心・奉仕等の精神は、大きな財産となることを祈っています。
さて、この会に出席されたゼミ学生の心境・感慨は如何でしたでしょうか。いつものように以下にご紹介したいと思います。(老ブロガー・ハル)
立命館大学体育会歓送会を終えて
伝統ある立命館大学体育会に所属し、4年間大好きなソフトテニスを思い切りプレーすることができたのは,監督をはじめとする指導者や多くの立命館大学関係者の方々のおかげだと思っています。また、4年間を通して関西リーグ戦や全日本インカレにはOB・OGの方々が応援に駆けつけてくださり、これまで経験したことのない縦の繋がりというものを実感することができました。大会当日には,立命館大学というだけで先輩方にお声をかけていただく機会もあり、とても心強く感じたこともありまし。.
私たちは今年度をもって現役を退きますが,これまで支えてくださった先輩方とともに、今後活躍する多くの後輩たちの活躍を期待し、陰ながら応援していきたいと強く思います。この4年間で培ったことを活かし、一社会人として立派に成長できるよう日々努力して参ります。4年間ありがとうございました。立命館大学万歳!!(T.O.)
-そして送り出す後輩は
歓送会を終えて
先日、2017年度立命館大学体育会歓送会に参加させていただきました。私は昨年も参加させていただいたのですが、3回生として参加する歓送会は、昨年よりも特別なものを感じました。2回生の頃よりも、普段の生活や行事を通して、私の顔を覚えていただいた先生や体育会の友人が増えたため、歓送会を通して沢山の方々とお話をする事が出来ました。また、部活のOB・OGの方々へ来年度に向けての挨拶に伺ったり、4回生と懐かしいお話を交わす事で、これからますます濃くなっていく自分たちの時代への励みになりました。諸先輩の皆様の今後のご活躍お祈りいたします。
体育会本部が用意して下さったビデオやパンフレットは昨年よりも更に面白く、大変楽しい会となりました。来年の歓送会も楽しみです!(N.I.)2018.02.15
大学院修士論文公聴会
2018.02.12
卒業生の訪問
2018.02.10
春は名のみの・・・
立春を過ぎたのに、寒風吹きすさぶ日が続いています。”春は名のみの風の寒さや♫・・” まさに "・・・・時にあらず♪” といった感じです。写真は、クインス越しに雪を戴いた比良の山々に、今日も雪雲がかかった様子です。
北陸地方は三十数年ぶりの豪雪。さらに今日も降雪が続き日常生活に支障を来しているニュースが流れていますが、折しも受験シーズンが続いています。受験生の皆さんの健康と健闘を祈っています。
大学は春休み期間中ですが、学生にとってはこの1年間を振り返り、年度当初の目標や課題を基に、主体的に何を学んできたのか、自分の歩いてきた道程を振り返り、新たな学年に進む心構えを固める時期かと思います。学生時代の最後の試験が終わり、卒業を目前にした4回生。振り返ってみてあなたの大学生活4年間の学びは如何だったでしょうか。きっと満足のいくものであったかと思います。
学生時代(もう半世紀前になりますが)、スペンサーの「知育・徳育・体育論」(明治図書刊)をもとに”体育原理”の講義の中で、「学びは事実の獲得であり、知識としての価値と”ふるまい”である。」と言われたことを不正確ながら記憶に残っています。今流で言えば、学ぶとは何かを吸収することではなく、それらを基に行動しさらに新しい学び(課題の発見)を創り出すことといえるかもしれません。全員に等しく付与された4年間を、専門性に触れ積極的に行動した人にはあまりにも短く感じられたかもしません。一方で学びの厳しさから挫けて、苦痛な毎日を過ごした人にとってはなんと長く感じられたことか(大学院時代のワタシ?)。しかし、今になって振り返ってみると皆貴重な経験になっていると思っています。
専門的学識と学ぶ姿勢、さらに培われたであろうレジリエンスとハーディネスを持ち、有為な人材となるべく学窓を巣立っていく皆さんの活躍を願っています(まだ、早いのですが)。(老ブロガー・ハル)