第94回全国高校野球選手権大会が、本日でベスト8の出そろう所まで進んでいます。前半はオリンピック放送の影に潜んでいたようでしたが、最近また、投・打や試合展開で直接・間接的に観る者の興味を惹きつけています。毎夏繰り広げられるこの大会の面白さや関心の広さは、長年大会関係者によって築きあげられてきたイベント開催方式、すなわち地方予選(都道府県単位別、一部は複数地域)、抽選による代表校対戦、予選・本戦を通したトーナメント方式によって支えられていると言えます。
甲子園大会の優勝校は、全国のおよそ4千弱チームのなかでこの夏一度も負けなかったチームだ、ともよく言われます。「負ければ終わり、一試合毎、一場面毎に、各成員が準備したもの(クラブ活動、練習・トレーニングの成果)を出し切ること」、これらは選手・指導者・関係者や応援者もみんな同じ思いであり、選手宣誓に「正々堂々、スポーツマンシップに則り、全力プレイ」という語が差し挟まれても、拍手こそすれおかしいという人は極めて稀だと思われます。このような共通の狙いや目標が共有されて、「プレイヤーの直向きな行動」や「懸命プレイ」、「偶発的な名プレイや試合展開のドラマ」が、多くの人々に肯定的に評価・鑑賞されていると考えられます。私も今までとこれからもその一人で有り続けるでしょう。
けれども一方で、地方大会の一回戦などでは、上記のような「手に汗握る」展開とは全く異なる状況、すなわちラグビー試合も顔負けの一方的スコアがしばしば出現しています。その最高は、1998年7月18日の青森県大会で記録されました。翌日の日刊スポーツの一面も飾った歴史的な試合で、東奥義塾高校対深浦高校、得点表のような進行で前者の7回コールド勝ちでした。
東奥義塾は、従来の一方的スコア記録(72点)を50点上回る122点を挙げ、攻撃の内訳もまた凄いものでした。打者延149人、ヒット86、四死球36、本塁打7、三塁打21、二塁打31、そして盗塁78。三振1。これを1チームが1試合で記録してしまったのですから、「手を抜かない、真剣、全力のプレイ発揮」が行われた、本当に凄い試合だったと想像されます。負けた深浦は打者25人がノーヒットで、アウト21のうち16が三振でした。因みに試合時間は3時間47分、プロ野球の少し長い試合と変わりないものでした。
公式記録の公認やチャンピオンシップの決定は、スポーツが肥大・高度化する過程で重要なポイントであり、競争の公正・平等性、客観性を高める努力がスポーツ界で数多く行われてきたことは周知のことがらです。男女の別だけでなく安全性をも配慮した、格闘技等での「体重別階級性」、昇り詰めるに従って力量が一層高くなる者(チーム)同士の対戦になるというトーナメントの性質を配慮した「シード制」、選手の安全面と試合展開の一方性排除を考慮した(チーム競技での)「上位、中位、下位等のグループ制」等々は、種目の多様さを考慮すれば、ごく一部にしかすぎません。
高校野球にもう一度戻れば、常連、強豪、伝統校と呼ばれる全国数十校の事前準備の状況(従ってスタート・ライン)と例年1回戦で姿を消す高校のそれとの間には、極めて大きな落差があります。その結果として、野球のゲームや個人の記録からすれば、驚き、呆れと同時に不審の念が多くの人びとを縛ります。
勝敗結果や感動的プレイが、ゲームや運動課題をめぐる対戦者同士の公正なゼロ・サムゲームが展開されることを通して生み出されることは事実ですが、先例のように出発地点が異なりかつ目的地点への到達努力の発揮が100%求められることを忠実に実践すれば、野球ゲームの面白さ・醍醐味などがかえって失われるという結果になります。
選手、指導者、学校・地域・家族等関係者や多くの周辺ファンには、強いチームであっても弱小のチームであっても、そのような違いを越えてそれぞれその時点・地点で「サポート」することの価値・意義づけのあることは、私も十分認めます。
だからこそ、「勝ちや記録」に努力する選手に対しては勿論、それをサポートする様々なレベルの人びとに対してさえも、イベントをマネジメントする側、特に「競技を運営(審判を含む)する委員会」の働きが今日重要性を増している、また専門的にも注目されていると感じます。今回のオリンピックでも話題になった「無気力試合」、ある報道では次のように書いています。「ニュース映像などからもわかるように、試合中のブーイングは確かに凄まじいものがあった。だが、心の底から不満を訴えている声よりも、ブーイングを楽しんでいる方が多かったのが真実。本当に怒っていたのは、あまりバドミントンを知らない一般層のみ。実際は笑いながら見ている観客が圧倒的だった。」読み方によっては、スポーツは特別に観るモノではない、と言っているようである。「する者」「関わり、支える人」についてはそれでいいが、観る者については見方を限定できない「ショー・ビジネス」としての性質には、全く触れていません。「無気力」と「全力」では、「する」側の人びとにとって全く論理は逆ですが、「文化の価値が多くに認められる」ことにとっては、同じように消極的に働いている、と私には思えてなりません。
結局、大問題となって、中国、インドネシア、韓国の2ペアの合計4ペアを失格処分にして、「スポーツの価値」「一般の人々の賛同」を守ったように見えます。だが、一般の人々に分かり易い「整理と理解」のレベルの追求など、スポーツ関係者が引き受けた「研究課題」には大きなものがあるのではないか、と私には感じられます。
【善】