2012.03.23
[ ] の記事一覧
2012.03.22
第二のふるさと
昨日、修士2年生の修了式が行われました。ついにスポ健修了生、第一号の誕生です!あっという間の2年間。寂しい気持ちでいっぱいですが、みなさんの成長した姿、とてもかっこ良かったです!
みなさんに先輩はいませんが、これから何十人、何百人という後輩たちが増えていきます。スポ健ファミリーの誇りを胸に、歩んで行ってくださいね。4月からは社会人になる人も多いことでしょう。厳しい事、辛いことも増えてきますが、いつも笑顔で乗り越えて行ってほしいなと思います。
スポ健を「第二のふるさと」として、いつでも帰ってきてくださいね。私も、みなさんに負けないよう、日々努力でがんばります!
卒業記念パーティ、Bグループのメンバー!1位獲得しました(^ ^)
M1のみなさん、企画、準備、ありがとうございました!とても楽しくて感動いっぱいでした。
みなさん、掲載できなくてごめんなさい。司会、すばらしかったです!
みんなとても良い笑顔でした(^ ^)
それぞれの道で、がんばって行ってくださいね!
さて、私が担当させて頂いた生命科学部のHaruhiさんも晴れて卒業です。3月いっぱいは実験に来ます!と言ってくれて、本当に逞しい限りです。どうして卒業式を迎えた後でも実験すると言ってくれるのだろうか、と考えていました。「卒業研究」というと「義務」や「単位のため」に実験するような感覚がありますが、「研究の本質?自身で探究心を持って研究すること?」の楽しさを彼女に伝えることが出来たのかなあ、と感じています。心のこもった感謝の手紙をもらいました。私の方が彼女に育ててもらった気がしていて「ありがとう」の気持ちでいっぱいです。
社会に出たら、きっと自分の考えを述べたり、言われるがままではダメな場面が増えてくることでしょう。研究活動で得た経験を糧にして、大きく羽ばたいていって欲しいと感じています。でも、ときどき「第二のふるさと」に里帰りしにきて来てくださいね(^ ^)香
2012.03.21
縁を訪ねて「打ち合わせ」?!
3月19日、宮城県女川町に行ってきた。ご存知の通り、「東日本大震災」に際して、最も被害の甚大だった地域の一つだ。昨年6月に訪れた時に、一階天井まで津波に呑まれた高台にある町立病院も目の当たりにしたのだが、ここの標高は16mだという。正式の測定で、最高約35mの津波が押し寄せたというのだから無理も無い話しだ。
前回来た時とは違い、瓦礫の処理は、港周辺を中心にしてすっかり進んでいた。もちろん、昼過ぎだというのに、人の行き来はなく、ひっそりとしたものだ。人の往来を促すような建物や商店、港湾施設の復旧が覚束ない状態なのだから、当然と言えば当然だ。
今回訪問した目的は、東北福祉大学で開催される第9回日本教育保健学会の講演をしていただく、女川町の前教育長との打ち合わせにあった。「東日本大震災がもたらしたものーその教訓と課題ー」と題する講演は学会の1日目、3月24日だ。演者の持ち時間は1時間。学会当日、「一期一会」的に話しを傾聴するだけでも十分価値はあるのだろうが、「3.11」から1年が経過した中での貴重な話を1時間に凝縮するのは、余りにも勿体無い気がする。座長としての責務は、限られた時間での講演では語り尽くせない「本当の思い」の出来るだけ多くを、学会に参加した方々に伝えること。そのためには、座長である私が、先ずは演者と直接向き合って話を聴き、肌身に沁みた理解をもつことが大切だとの思いを強く持ったのだった。
仮設町役場の一区画にある教育委員会で、用意していただいた資料に基づいて一通りお話を聴いただけでも約2時間を要した。それでも、かなり端折ったもので、地域の教育行政を束ねる立場として体験した過酷なまでの状況とその後一年間に亘る復旧・復興へ向けた取り組みについて語り始めれば、時間はいくらあっても足りないくらいだ。
私との打ち合わせで話されたこと全部を学会参加者にも聴いてほしい。しかし、時間が限られている。「資料の半分程は、当日も資料として添えるだけにして、重点的に語る部分に的を絞って頂きたい」旨の難題を前教育長は、快く受け止めてくれた。
打ち合わせの途中では、3冊の書籍を紹介していただいたが、その内の2冊は、学会の講演に合わせて、是非参加者に読んでほしいものだ。1冊は阿蘇品 蔵『まげねっちゃ<負けないぞ>』(青志社、2012/3)、もう1冊は山中 勉『みあげれば がれきの上に こいのぼり』(遊行社、2012/3)だ。この2冊、より「臨場感」も持って講演を稔りあるものとしてくれるはずだ。何とか、出版社に掛け合って、当日販売できるようにしたいものだ。
蛇足ながら、打ち合わせが終了して別れ際、改めて前教育長の略歴を聴いたところ、母校石巻高校の9期先輩だということがわかった。そして、女川の教育長を勤める前職が私の母校である石巻小学校の校長だったという。加えて、教育委員会付きの課長は4期後輩だった。「地元の縁」か、という思いを持ちながら仮設の町役場を後にした。 mm生
2012.03.20
遠野のおいしい笑顔。
2012.03.19
YMFSスポーツチャレンジャーズミーティング
早咲きの山桜、河津桜の咲くヤマハリゾートつま恋で、YMFSスポーツ・チャレンジャーズ・ミーティング(YSCM)が3/16-18に開催されました。これはヤマハ発動機スポーツ振興財団が、日本、世界の舞台で努力を続けてきたアスリート、指導者、研究者などを支援する『チャレンジャー助成』を受けたチャレンジャーを集めて、1年を振り返り、互いに語り合い、刺激する会として開催されました。チャレンジャー同志の報告、交流だけで なく、基調講演、スポーツ討論会、スポーツチャレンジ賞の報告もありました。
本学部からは、5期チャレンジャーとして、【moto】先生、【ippo】先生の素晴らしい発表は、他のチャレンジャーの刺激となっていました。次年度からのチャレンジャーの【香】先生、【幸治】先生が選ばれています。写真は、右から【ippo】先生、【香】先生、体験チャレンジャーであった本学OGの小島智子さん、そして学部2回生の徳田君(昨年YMFSでインターンシップ生)です。
「スポーツチャレンジ」は、選手、指導者、研究者、メディア、観客をふくめて多方面に及びます。社会全体が、スポーツチャレンジへの理解と関心が高まることを願っています。チャレンジャーズミーティングについては、下記を参照ください。
http://www.ymfs.jp/project/assist/scmeeting/05/
<<今週のちょっと、もっと、ほっとな話>>
いよいよ今週の3/21は、初めての修士修了生を送り出す学位授与式と修了記念パーティが行われます。修士一期生の修了生として今後の大いなる活躍を期待しています。
【忠】
2012.03.18
新入生の入学に向けて、オリター団にインタビューしました
新入生を迎える準備が着々と進みつつあります。
今回は、新入生をサポートしてくれる
スポ健の「オリター」さん達に話を聞きました。
後列左より、Sei くん、Syouhei くん、Tomotaka くん
前列左より、Miwaka さん、Akiko さん
(Miwaka さんのみ、1回生です。他の学生は、2回生で、
------ 「オリターは、具体的には、どういった仕事を行うのですか?」
Syouhei くん: 「我々の仕事は、新入生のサポートを行うことです。
具体的には、オリエンテーションの懇談会企画、スポ健についての情報冊子の作成、
基礎演習のサポート、FLC (Freshman Leader's Camp) の実施などです。」
------ なぜオリターになろうと思ったのですか?
Miwaka さん: 「私のクラスのオリターさんに、学校の事でも、
それ以外のことでも色々と相談できて、本当に良かったので、
私も、新入生をサポートしたいと思って。」
------ 二回生の皆さんは、なぜオリターを継続しようと思ったのですか?
Akiko さん: 「昨年度、オリターをやってみて、その伝統を後輩に受け継ぎたいです。
スポ健をよりよい学部にしたくて、来期も、オリターをやってみようと思いました。」
Syouhei くん: 「スポ健は新しい学部なので、オリターも一から作っていく必要があります。
------ 新入生へのメッセージをお願いします。
Syouhei くん: 「入学したら、色々な事にチャレンジして下さい。
Tomotaka くん: 「スポーツ健康科学部はとても楽しい学部なので、頑張って下さい」
Sei くん: 「やらなければならないこと、やるべきこと、やりたいこと、
Akiko さん: 「スポーツ健康科学部は、みんな仲が良いので、
2012.03.17
大学院での学び 感謝の2年間
あと数日で、卒業式。スポーツ健康科学部は、学部生の卒業式はまだ行いませんが、大学院修士課程の仲間たちを送り出します。今回はその一人、田中潤(修士課程2年生)を紹介します。
田中君は、本学経済学部の出身。学部時代は、トライアスロン部で世界学生選手権(ユニバーシアード)に出場など活躍し、卒業後プロ選手として活動していました。U23世界デュアスロン選手権で上位に入り、次期日本代表選手としてオリンピック出場を目標にトレーニングしていましたが、オーバートレーニングにより心臓血管系の故障から、オリンピックを断念しました。
しかし、スポーツに関わる仕事をしたいという夢を捨てきられず、本学の大学院で学ぶことを決めました。正直、自分がこんなに必死で勉強するとは・・・と振り返ります。途中で、何度も何度も道が見えなくなり悩んだそうです。でもそんな自分を支えてくれたのが、大学院の仲間たち。みんなそれぞれの悩みや不安を持ち勉強していることが理解でき、スポーツを行なって時と違うチームワークを感じ感謝したといいます。一生忘れられない2年間だったそうです。
田中君は、卒業後関西テレビに就職します。関西ばかりでなく全国に配信する番組も制作しています。田中君は、社会のために働きたいと考え関西テレビの就職を考えたそうです(必死にしがみついたと言う方が・・近いかな)。4月からは、人々を笑顔にしたり、熱くさせたり、日本の将来を考えさせれるような番組を制作したいそうです。
私たちも、スポーツ健康科学部大学院1期生である田中君にスポーツ番組制作といった仕事に関わってほしいと願っています。
また、田中君は後輩たちに「失敗を恐れず、自分たちの成長のために沢山の汗と涙を流してほしい。」と話してくれました。田中君を凄いなと思うところは、仲間を沢山褒めるところです。とにかく、仲間と大切にするいい奴でした。
【shine】
2012.03.16
日々の積み重ね
2012.03.15
全てをプラスに。
震災から1年。驚異的な復興を遂げる日を信じ、少しでも協力出来る事をやっていこうと思いつつ生活しています。
昨年3月11日。ちょうど、上原記念生命科学財団から頂いた研究奨励金の授賞式でした。授賞式に向かう途中、南草津駅まで歩いていると、大学に向かうMoto先生とすれ違いました。本当に何気ない平和な日常。「いってらっしゃい!懇親会の料理、めっちゃおいしいから、いっぱい食べておいでや〜。」と言って見送っていただきました。東京に到着し、方向音痴の私は街中をウロウロ。。。ようやく会場までたどりつきました。
なぜか急に東北大でお世話になった秘書さんに、報告メールをお送りしたくなり、自分を育てていただいた永富先生のことが頭にうかび...「きっと永富先生はお忙しいと思いますので、また私からも改めて連絡いたしますが、よろしくお伝えください。」とお送りしました。(後々、秘書さんからメールのお返事が来た時刻を見ると、地震の2分前。これも何か感じるものがあったのでしょうか。)
会場では偶然にも、お隣の席に、国際シンポジウムでお世話になった信州大学の増木静江先生で「その節はお世話になりました...云々」などと盛り上がっていた最中、まさかとは思ったのですが、突然、会場が大揺れしはじめました。その瞬間から仙台の知人とは全く音信不通になってしまいました。10分遅れで授賞式は開始しましたが、会場は終始ゆれっぱなしで、時々、叫び声が聞こえたり、外に避難しようとされている方もいらっしゃったり、そんな状況下で式が終りました。Izumi先生が心配してくださり、報告を受けた事務のChiharuさんから電話をいただいたことを思い出します。体は無事でしたが、仙台の知人、恩師のことが心配で、心が無事ではなかった気がします。
一応、懇親会もありましたが、携帯電話を片手にウロウロされている先生方ばかりで、Moto先生からうかがっていた料理や会話を楽しんでいる気持ちの余裕はありませんでした。
その日は帰ることができず、ホテルに宿泊することになりましたが、帰宅できない方が路上にあふれ返り、道路も大渋滞。電車も異常なポジションで停止していました。
しかし、そんな状況下でも素晴らしい出会いがあり、大分大学、長崎大学の先生だったでしょうか、懇親会で知り合った海外留学助成金を頂いた先生方2人と、夜な夜なお話することができました。一人は医師、一人は理学療法士さんで、医局で臨床にかかわりつつ研究を進められているお話をうかがいました。3人とも携わる現場は違っても、現場で役立つ研究をしたいという気持ちの強さが一致していて、とても有意義な時間となりました。衝撃的な出会いとなったのですが、最後は握手を交わし、「きっと、この震災の被害は拡大していくでしょうけれど、お互い、がんばりましょうね」と言って部屋に戻りました。もうそろそろ帰国かな、と時々思い出したりします。
人と人との出会いはとても不思議です。もしかしたら、いつかどこかで共同研究なんてことにも繋がるかも?と思ったり、特に震災後は、落ち着かない1年を過ごしましたが、人とのつながりを大切に、どんな時も全てをプラスに変えて生きようと思うようになりました。
来月、新1年生の入学です。嬉しい出会いの1つです。それとともに、1期生、2期生のみなさんが成長していく姿も、とても楽しみにしています!香
2012.03.14
何とか50回の「節目」です?!
フェイ・E・ダッデン/山本俊一訳『女たちの演劇 ―女優と観客 1790-1870―』(論創社、2012年)が手元にある。18世紀から19世紀にかけて、女性たちの身体はいかに見られ、社会の中で組織されたのか。演劇を通じて、女優と観客の視点から文化論的に語られる書だ。
訳者の山本先生は、立命館大学理工学部を今年度末で退職される。先日、久しぶりに理工学部の「生物・地学研究室」にお邪魔した時、たまたま遣って来た彼の先生が、退職に当たって、理工学部の先生方に「出来たて」の訳本を進呈したいとして持ち込んできたものだ。
彼の先生とは、何度かこの研究室でお会いしたことがあった。地学・生物分野の10人ほどの教員の「共同研究室」になっている。その作業場と同居して休憩用のテーブルが置いてあり、皆さんが食事を摂ったり「息抜き」をする場となっている。生物・地学分野の教員だけでなく、いろいろな分野の教員の「素敵なたまり場」となっているところでもある。英語それも演劇論を専攻されていた山本先生もそんな1人だ。私も、「BKC教育研究入門」のコーディネイターの一人として、もう1人の中心的に担ってきた吉田真先生との打ち合わせなどで、時々お邪魔していたところ。昼食を摂りながら、時にはお茶や茶菓子をいただきながらの「打ち合わせ」は楽しいものでもあったが、その科目は、2011年度をもって閉講していて、その分、足も遠のいていたところだった。
特段、演劇に造詣が深いわけでもないのだが、広い意味で「健康文化論」的な関心をもっている私の目には、書の「帯」にあった「女性の身体はいかに見られ、・・・そして組織されたのか・・文化論的に・・・」の文字が飛び込んできて、一冊購入するつもりで手に取った。そして、ふと思い出されたのが、シシアン・エンロー/上野千鶴子監訳・佐藤文香訳『策略 女性を軍事化する国際政治』(岩波書店、2006年)だ。この書では、「女性の軍事化」とは軍隊や戦争にのみ関わるものではないとして、女性兵士から男性兵士の妻や母、レイプ犠牲者、基地周辺の風俗関係者まで、幅広い事例から、軍事とジェンダーの深い関係について語ったてくれていた。そして、訳者が語るように、『あなたもカーキ色になる?―女性の生活の軍事化』や『バナナ、ビーチ、基地―国際政治をフェミニズムの視点で読む』と一連の書であって、「政府が資本や武器に依存しているだけでなく、シンボルとして、消費者として、労働者として、感情の癒し手としての女性の管理に依拠している様子を描き出していくという手法」が踏襲されているものだという。
支払いをしようと思っている時に、たまたま「韓流」の映画やドラマの話になって、その造詣が深い彼の先生の熱弁が始まった。私も「チャングム」や「トンイ」「イサン」など「王宮物」が好きで観ているのだが、すっかり話が弾んでしまった。そんな中で、「お金は取れません。進呈しますよ。」との大変有り難い言葉。喜んで頂戴した次第だ。