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2011.04.29

生憎の雨

断続した雨が続いた1週間でした。

先週の新歓祭も、生憎の雨。。。(雨を呼び込む?忠先生は出張中だったはずなのですが)
価格設定や役割分担など、色々と協議を重ねていたようですが、
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結局唐揚げを揚げること無く終わってしまいました。

しかし、その後の打ち上げでは、有り余ったエネルギーを発散させ、大いに盛り上がったようでした。クラスの結束がまた固くなったようです。

また、私のネームと似顔絵入りのTシャツを作ってくれて非常に嬉しいです。ありがとう!
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さて、昨年度のMoto先生のブログにもございましたが、
/shs/blog/archive/detail/?date=2011-01-07
スポーツ指導実習がスタートしています。

この授業では、自分たちが教える立場となって、実際に授業を展開していくことが要求されます。そのため、各グループごとに協議し、どういった授業展開がよいかを考え、実践して行く、そうした指導スキルを学習していく非常によい機会となります。

バスケットボールでの実技スキルで重要な課題のひとつであるレイアップシュートですが、早くも各グループ、色々な工夫がでてきています。
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まずはステップからのジャンプとボールを
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置いてくるイメージをつかむために、
ステップの開始位置、リングとの距離など、
工夫されているのがわかります。



皆、キャプテンの説明に熱心に耳を傾けています。
今後次々と出てくるであろう工夫が今から楽しみです。
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2011.04.28

Think Positive!


 先日、大阪体育 大学大学院で大変お世話になった金子公宥先生が、ご自身の「古希」の記念として作成された冊子が届きました。既に一部の卒業生にはお送りくださっていたのですが、今回の震災後、再度、たくさんの卒業生に送ったと手紙が沿えられていました。その冊子の中には、金子先生が若い頃、貨物船に乗って渡米された時のお写真や、イタリア、フィンランドでの研究生活、そして大阪体育大学での講義や実験風景などがたくさん掲載されていました。

 ある1ページがとても印象に残りました。

「隣に坐っていた同僚が "Think Positive!"(前向きに考えよ)と言ってくれた。その一言で私は目が覚めて立ち直り、研究の発想を転換して論文を1つ完成した。このアドバイスをくれた同僚は、その後、宇宙飛行士となり、スペースシャトルで6回も宇宙に飛んだ。」と書かれてありました。

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金子先生の「古希」の1ページ。
自作された測定装置を用いてのユニークな実験のお話を思い出します。

金子研究室だった同級生は、自分で設計図を書き、自作した装置を使って高齢者の脚伸展パワーを測定し、修士論文にしました。
実験の進みは遅いですが、原始的な手法は、測定された値の仕組みを理解する上で、とても勉強になります。



(宇宙飛行士:Story・Musgrave)
http://spaceinfo.jaxa.jp/ja/kaihatu_astronauts_musgrave.html

 震災後、新入生の皆さんを迎えながらも、私自身が落ち着かない心境で過ごしていたのですが、光を与えてくださったような気がしました。そして、研究したい!と一途に思いはじめた私の原点である大学3年生からのいろいろな出来事を思い出しました
「研究は、かっぱえびせんとおなじなんですよ。」

 私が大学院に入学する前、修士2年生の方の発表を拝聴した後、当時、研究科長をなさっていらっしゃった金子先生のお言葉です。先輩らが2年間の集大成である発表と、戦いのような質疑応答を終えられ、緊迫した雰囲気の中で、突然何をおっしゃるのかと、全員が耳を傾けました。
さらに話は続きます。「ちょっとかじったらね、どんどんどんどん食べたくなっちゃう、知りたくなっちゃうんですよ。研究も同じで、やめられなくなっていくんですよ。」とうつむき加減で話された後、ニコッと微笑みかけられました。当時の私には、まだその意味が理解できませんでした。
 しかし、今は、その言葉がよく理解できます。本当に研究は少しかじってしまったらエンドレス。どんどん次の疑問があふれてきて、謎解きの魔法にかかって行きます。探究心をストップすることができなくなってしまいます。研究が進むにつれて、恩師から受け継いだ研究が、いつしか少しずつ形を変え、方向性を変え、そして自身のオリジナリティが生まれて行くのかもしれません。

 当時、分からない事だらけの私に「くだらない質問はないから自信を持って発言しなさい」と教えてくださったのも金子先生です。バイオメカニクスの授業の内容もとても分かりやすく、おもしろかったのですが、私には金子先生の研究人生の失敗や成功、これらの余談が大変魅力的でした。退官された現在でも、週に2回は大学の図書館に足をはこび、本を執筆していらっしゃるそうです。研究そのものだけではなく、研究者・教育者として生きて行く上で、大切なことを教わったと心から感謝しています。香


注)もしかしたら、今の学生さんはご存知ないかもしれませんが、戦後からしばらく、「やめられない、とまらない」というフレーズで
「かっぱえびせん」はとても有名になりました。



2011.04.27

垣間見る「境界」?!

 今回の東日本大震災では、多くの「境界」をみてきた気がする。例えば、壊滅的な被害をうけた宮城県東松島市に隣接する、日本三景や瑞巌寺で有名な松島町は、さしたる被害を受けていない。それは、仙台湾から大きく内陸部に食い込んだ形の松島湾とそこに点在する島々の存在があったればこそである。こうした地形的な差異による被害の「境界」は、郷里石巻市においてもみることができる。壊滅的な被害を受けているのは、市町村合併で広域となった三陸沿岸や仙台湾に面した沿岸部とその周辺である。また石巻市街地でも、壊滅的な被害をうけているのは、湊、渡波、門脇など、旧北上川の河口付近に広がる仙台湾に面した地域である。避難所においては、物資が早い段階でそして比較的潤沢に届けられたところと食べ物も水もかつかつの状態のところとの差が生じた。情報伝達もままならず、孤立した場所では本当に悲惨な状況だったようだし、依然としてその状態を引きずっているところもあるはずだ。

 ところで、「境界」という意味では、今私たちは途轍もないほどの「安全文化」崩壊の瀬戸際にいる。他でもない、福島原発事故とその後の深刻な事態である。時恰も、4月26日は、あのチェルノブイリでの原発事故から25年目の日だった。1986年4月26日午前1時23分(日本時間)チェルノブイリで、スリーマイル島原発事故をはるかに上回る史上最悪の原発事故が起こったその時、日本の原子力関係者は異口同音に「日本では絶対に起こりえない事故だ」(七沢 潔『原発事故を問うーチェルノブイリから、もんじゅへー』岩波新書、1996年、p.12)と言ったようだ。しかしそれから10年を経た1995年12月8日、福井県敦賀市にある動燃(動力炉・核燃料サイクル開発機構)高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏洩事故が起こった。さらに1997年3月には同じく動燃の東海再処理工場のアスファルト固化処理施設における火災爆発事故に続き、1999年9月30日には、茨城県東海村のJCO社のウラン加工施設の再転換工程において臨界事故が起こっている。福島での事故は、そうした流れの中で起こったものだ。

 核連鎖反応を制御しないがゆえに巨大な爆発を起こす「原爆」と原子炉内で核連鎖反応を制御することでエネルギーを持続的に生産する「原発」との「境界」を崩壊させてしまった「チェルノブイリ」はまだ終わっていないということを感じさせられる。もちろん、既に「風評被害」が十分すぎるほど起こっているが、福島県と県民の方々に対して、「差別と偏見」と言う名の「境界」を引くことがあってはならない。  m m生

2011.04.26

続ける力。

<RecOだより55>
 ReSMILEの「O結び」チャリティ、日程の2/3が終了しました。
 今のところ全ての日程で完売。一個100円以上、ということで義援金を集めていますが、それ以上の募金をいただいたり、物資(昨日は【mm生】先生から、お米をいただきました!)をいただいたり、様々な形で、色々な方々からの支援をいただいています。

 一週間経って、メンバー達の動きもスムーズになってきました。

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先週の実績を元に、今週は一度に作る種類を増やしたり、人気に応じて数を調節したり、という工夫もみられました。









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 ReSMILEの「O結び」は、お結びとしても極上です。
 農家の方から直接いただいたお米を、昨年講師として来ていただいた土井善晴先生から直接ご教授いただいた「お米と仲良くなる方法」で炊きあげて一つ一つていねいにお結びにしています。




 今週、29日まで、気を抜かず、さらに工夫を重ねながら、想いを結び続けようね。

 BKC内で、まだ召し上がってない方、今日を含めあと4日の限定です。
 ぜひ一度、お昼休み、ラルカディア前の広場にお越し下さい(11時半〜完売まで)。【abc.】





2011.04.25

企業人として大事なこと(GEヘルスケアジャパンの松岡さん)

先週の「スポーツ健康科学セミナーII」のゲストスピーカーとして、GEヘルスケアジャパンの松岡さんにお越し頂きました。

お話の冒頭にGE(ジェ

20110425.JPGネラルエレクトレック、エジソンが創業の会社で、110年の歴史)の強さの源泉について説明いただきました。それは、①共通の目標、②リーダーシップ、③GEValueが明確で、社員全員に浸透しているからである。これらのことはGEとしての組織を強くするとともに、個人個人の業績評価としても活用されていることの事例も説明してもらった。

 特に、松岡さん自身のこれまでの20数年のキャリアを通じて感じてきたことから、新人、中堅、シニアに分けて、企業人に求められる力量・行動指針を次のようにまとめられた。

「新人」

  ・全力投球(与えられた仕事を目一杯する→チャンスにつながる)

  ・1つ1つ仕事を積みあげる

  ・良い先輩のマネをする

  ・短期/長期の目標をきめる

「中堅」

  ・チーム内で、場面ごとにリーダーになる(役割の理解)

  ・ノウハウの蓄積

  ・プロジェクトリーダーとしての力

  ・高い目標へのチャレンジ

「シニア」

  ・強いチームづくり/最大パフォーマンスを引き出す

  ・チームの方向付け

  ・数字(業績)への責任

  ・専門家として誰にもまねできない仕事

20110425-2.JPG このように、キャリアの段階によって求められる内容、行動は変わる。ただし、基盤として常に共通に持っておくべきものとして、①体力(どんな仕事でも)、②前向きな姿勢(チャンスがくる)、③勉強(ツール)が必要であることを強調されていた。

 学生へのメッセージとして、1)クラブ活動などのチーム活動を通じてちーでの役割の理解、2)やり遂げる習慣を身につけること、3)一生勉強と思って、また専門化してプロ意識を持つこと、の大事さを伝えて頂いた。

 質疑応答では、『創造力』について、考え抜くこと、常に意識しておくこと、その上で、何か新しいことを実行するには、従来から「変える」ことのリスクを取りながら、「勇気」を持って取り組まなければ、「創造的な仕事」はできない、というメッセージを頂きました。

 講義中の松岡さんの表情は、非常に朗らかで、楽しそうに、そして明るく学生に語っていただき、受講生の心にしみるようにメッセージが届いていていました。

 松岡さん、ありがとうございました。

【忠】

 

2011.04.24

プロジェクト英語の担当教員を紹介します 2

東日本大震災で被害に遭われた方に
心よりお見舞い申し上げます。

今週も、先週に引き続き、プロジェクト英語を
担当して下さっている講師の先生を紹介します。

木村修平先生は、昨年度から、スポーツ健康科学部で
プロジェクト英語を担当し、情熱的な指導で、
学生を引っ張って下さっています。

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木村先生は、Web 関係にも、造詣が深く、
スポーツ健康科学部生向けに、英語学習の情報をまとめた
「スポ健英語学習ナビ」を作成して下さっています。

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木村先生に、お聞きしました。
Q: 「去年、学生を一年間教えられて、どうでしたか?」
A: 「この一年間で、学生の英語に対する姿勢が変わった気がします。
     プロジェクト英語を通じて、アカデミックな英語に慣れてきているので、
        P3 のクラスには、さらに期待しています。」

Q:「他学部との学生と比較してどうですか?」
A:「スポの学生は、選ぶトピックもスポーツや健康が中心となっているので、
  自分の経験に根ざしたリサーチになっていて、中身が濃いです。」

Q:「学生に、こうして欲しいという要望はありますか?」
A:「Twitter/skype を通じたネットワークがスポ健で広がっています。
  これらのツールは、英語学習には有効なので、どんどん活用していって欲しいです。」

木村修平先生・山本好比古先生と共に、
スポ健のプロジェクト英語を、
発展させていきたいと考えています。

それでは、また。失礼致します。
             敦

 




2011.04.23

基礎演習Aクラスのオリタ-を訪ねました

今回訪ねたのが、オリタ-団長はじめ多くの2回生らが学部のために,めっちゃ頑張ってくれている(汗をかいてくれている)と紹介してくれた松本明子さん(2回生)です。
基礎演習の佐久間先生クラスのオリタ-で、オリタ-団の影の団長というべき頑張り屋さん。基礎演習では、一生の仲間として付き合っていくようなクラスにしたいと熱く語ってくれます。
本当に仲のいいクラスだそうです。

本日の新入生歓迎祭典では、タピオカジュ-スを販売するそうです。

 

特に1回生にとってオリタ-は身近で良き先輩だけど、先生方ともっともっと仲良くなってほしいとアドバイスをくれました。
スポ-ツ健康科学部の先生方は、声はデカイがとにかく熱いと。
先生方と話すだけで、熱い自分が再発見できると言ってくれました。
嬉しいメッセ-ジですね。

 

松本さんはクラシックバレエを17年も続けているそうで、審査委員によって全く評価が異なることがあるので、皆が同じ評価をしてもらえるような演技や構成が求められるそうです。
この点が最も難しく、またバレエの面白さでもあるようです。
特にバレエで学ぶ身体の動かし方、バランスなどはスポ-ツ競技に共通することがあるそうで、芸術性を問わない競技を含めた「アスリ-トのためのバレエの導入」といったトレ-ニング研究をしたいと目標を語ってくれました。
2回生なのに、研究目標をしっかりと語れる教育を展開しているところがスポ-ツ健康科学部の「力」かな。

 

私は今回話を聞かせて頂き、クラシックバレエは声を出さないミュ-ジカルなんだと~勉強しました。
松本さんはバレエの指導者としても活躍中で、スポ-ツ健康科学部の仲間にとって、本当に頼りになる姉御みたいな方でした。
学内で見られたら、ぜひ「あきちゃん」と声をかけてくださいね。

 

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スポ-ツ健康科学部自慢の階段
撮影時は回っていなかったけど~

 

 

 

 

 

 

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事務室の林さんと記念撮影です(お仕事中失礼しました)。
林さんもめっちゃめっちゃ熱く、オリタ-団の親父みたいだと・・・林さんはまだ若いけどな(せめてお兄さんと・・・)

 

 

 

 

 

 

 

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事務室で撮影させて頂きました(仕事中失礼しました)。

 

 

 

 

【shine】

 

 

 

2011.04.22

いよいよ新歓祭、友人の訪問、ウインドサーフィン

季節外れの寒い日もあった1週間でしたが、いよいよ明日はBKC新歓祭!

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今年は準備期間が少し短かったですが、夜まで残って皆看板作りに励んでいました。
この準備期間を通して皆一気に仲良くなっていったように思います。

我がGクラスは「若鶏の唐揚げ」。
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「からあげようちゃん」の看板を見たら是非立ち寄って揚げたての唐揚げを召し上がってください。
(若鶏の似顔絵は誰だかおわかりですか??)

今週は、早稲田大学スポーツ科学部の宮本直和先生が、関西出張で本学部にも立ち寄ってくださいました。
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宮本先生は、私とは15年来の親友であります。同じ予備校、大学の学部、学科、クラブ活動(体育会ウインドサーフィン部、私はキャプテン、宮本先生はエース)、大学院とすべて同じで、今もこうして同じスポーツ科学部の教員として切磋琢磨している間柄です。
思えば、こうした仲間がいることが、この出会い以降の人生を非常に充実したものにしてくれています。本学部で出会った新入生たちも、一生の宝となるような仲間を築いていくことだろうと思います。

ところで立命館大学にもウインドサーフィンサークルWINDWARDがあるのをご存知でしょうか? http://windward51-35.jimdo.com/
このサークルはまだ若いサークルですが、初代キャプテンの福村君は何とインカレ個人戦チャンプです。
そして、今年はスポーツ健康科学部からippo先生クラスの板庇君が入部しました。
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板庇君はwaveというクラスで何と既にプロとして活躍するウインドサーファーです。http://www.koreikura.com/yuma/index.html
http://www.gaido.jp/suteki/suteki.php?ID=348
今後立命館WINDWARDを牽引し、旋風を巻き起こしてくれることでしょう。

WINDWARDが活動する(私や宮本先生が活動していた)学連のウインドサーフィン競技は、海面に設定されたコースを巡回する順位を競うものです。
風を味方にする戦術や、強風に負けない体力、また風が弱い時でもセールを漕いで漕いでコースをまわる持久力が要求されます。
競技としての魅力のひとつが、多くの人が大学から始めるスポーツであり、練習次第で上位を目指せる点が挙げられると思います。
そのため、私や宮本先生は京都から練習拠点の琵琶湖近江八幡へ足しげく通ったものでした。
立命館大学の練習拠点も近江八幡ですが、BKCから近いこの立地条件は最高です。
また、ウインドサーフィンの魅力は何と言っても3倍以上の体感速度で風を切って走る気持ちよさです。
大学生活開始を機に新たな挑戦を考えている新入生諸君、一度ウインドサーフィンの試乗会に参加してみてはいかが? Hassy

2011.04.21

授業スタート!


 2011年度の授業がスタートしました。

 昨年は新入生とともに私自身も新任で、建物の名前も場所も把握しきれきず、地図を見ながら、BKCジムに行った記憶があり、落ち着かない気分の中で新入生を迎えました。今年は少し余裕があるスタートです。

 さて、今年度、私の前期担当授業には2年生の「スポーツ指導実習:ダンス」があります。この授業では、中学生や高校生を対象に、身体を使った表現・ダンスの指導が出来るように、ということを目標にしています。先生役、生徒役を決めて、模擬授業の実習を何度も行いながら指導方法を習得していきます。中学・高校の体育の先生だけに限らず、児童や高齢者、障害をお持ちの方を対象に指導する時、そいういう場面も想定しながら指導について学んで行く予定です。もう一つ、この授業では、準備と片付けもグループをつくって、自分たちで行うことを取り入れています。指導者になったら、ほとんどの現場では、準備は自分でしなければなりません。どんな器具を、どんなふうに準備すれば良いのか学んでもらうことも、授業の1つに取り入れました。ダンス指導に限らず、現場に立つ時に思い出してもらえれば、という願いも込めています。


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みんなで用意した授業セット(DVD、スクリーン、プロジェクター、ラジカセなど)を使って、授業します。2回目の授業では、スクリーンを見ながら動きを模倣し、その後、即興で曲に合わせたウォーミングアップ体操をつくり、各グループに発表してもらいました。







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最初の授業では、グループごとに円になって、曲に合わせながら楽しく、をテーマに自由な体操を即興で完成させました!どのグループもとてもレベルが高くてユニーク!創作ダンスが楽しみです 。



 大勢の人を集めた時、どんな隊形で集まるのが良いのでしょう。指導者はどこに立てば良いのでしょう。また、見本を見せながら説明する場合、どんな場所から話すのが適切でしょう。場の雰囲気を変えて行くためにはどうすれば良いのでしょう。言葉の早さや声の大きさなど、考えるべきことは山のようにあります。こんなことを、実践の中から、自身で気づき、学んで行く授業を目指しています。

 さらに、最後の目標は、この授業の集大成であるダンスの創作です。イメージを膨らませながら、身体を動かして行きます。グループみんなで協力し、1つの作品を創り上げることは、個人のコミュニケーション能力、協調性を磨くチャンスでもあります。

 かなり盛りだくさんの内容ですが、理工学部の博士課程のNAOさんとインスのESMAIさんの協力を得ながら目標達成を!と意気込んでいます。NAOさんはダンス経験者、とても心強く、たくさんアドバイスをくださいます。MAIさんは、アルバイトでアクアビクスを指導しています。先輩がいないスポ健2年生のお姉さんとして、活躍してくれることでしょう。

 みなさんの成長を見守りながら、私も日々学びつつ、一緒に授業をつくって行きたいと思っています。

 7月の授業では、学びの成果発表として、授業内に創作ダンス発表会を予定しています。お時間があれば、ぜひ先生方、事務の方も観に来ていただければ、と思っています。香




2011.04.20

「想定外」???

 

 今回の東日本大震災の報道においては、随分と「想定外の・・・」を耳にした。マグニテュード9という地震の規模もそうだし、その地震で引き起こされた10メートルの防波堤を乗り越えるほどの津波もそうだった。つまり、最大規模の地震をマグニテュード8.4あたりに「想定」し津波についても最高10メートル程度と「想定」することとしたのだ。一般的な感覚からすると、「想定外」とは、あたかも「神のみぞ知る」といった、「人知を遥かに超えるような」程度や姿を想い描くことになる。しかし、そうした時に私たちは、一方で、「人知では計り知れないほどの途轍もない状態」を想い描くこともできる。「月影さやかに きらめく銀河 ああその星影 究めもゆかん 人知は果てなく 無窮のおちに・・・」の歌詞にみるように。「宇宙の果て」さえも想い描いてしまう人知において、「想定外」とはどれ程のことなのか。            

 もともと「想定」ということの意味が「ある一定の情況や条件を仮に想い描くこと」(『広辞苑』)からすると、「想定外」とは、「ある一定の情況や条件を仮に想い描くことが出来なかった」ことになる。しかし今般盛んに使われた「想定外」がイメージさせることは、これまでの「データ」の中から、「線引き」をして設定した数値を超えられてしまったとする意味での「想定外」といえる。これは本来の意味での「想定外」とは違うのではないか。

 実は、前回紹介した河田惠昭『津波災害』は、今般のような「巨大津波」が起こりうることに対して十分な警告を発していたのである。もともと、河田氏がこの本を著したきっかけが、2010年2月27日に発生したチリ沖地震津波だったという。日本では、約168万人を対象に避難指示・避難勧告が出されたが、実際に非難した人は3.8%の約6.4万人に過ぎなかった。とくに、津波常襲地帯の北海道、青森、岩手、宮城、三重、和歌山、徳島、高知の各県の沿岸市町村でも、対象人口約74万人中、5.1%の約3.8万人が避難したに過ぎない。「こんなことではとんでもないことになる」現実が、この本の出版の3ヶ月も満たないうちに起こってしまったのである。

 そう言えば、4月2-3日に郷里・石巻でタクシーに乗ったとき、その運転手さんがしみじみと語ってくれた。「去年2がづのツィリおぎずすんのとぎも、このあだりのひどだづは、あんまり避難すねがったんだよねー。こんども似だようなものだったんだべねー。生死の分がれは、そんなどごにあったんだねー。」と。河田氏の本には、少なくとも、1896年の明治三陸大津波で死者が22,000人に達した事実、それも津波地震(地震の揺れが小さいにもかかわらず、津波が非常に大きくなる地震)だったこと、そして最大30メートルを超える津波を伴ったことなどの記述が十分になされているのだ。決して「想定外」ではない事実がそこにはあった。

 今回壊滅的な被害を受けた、牡鹿半島北側付け根にあたる女川に近い谷川浜に住む私の父方の遠い親戚の一蔵・朝子夫婦は、あの日、地震が止んだ後、津波警報時に家にいてやり過ごそうとしていたようである。朝子さんの遺体は、浜から6キロ程沖合いの江島の近くで発見されたという。一蔵さんの方はまだ不明だ。痛ましいという想いとともに残念さが込み上げてくる。  mm生