指導実習のクラスで検討した「よい指導者とは?」の続編です。
受講生があれこれ考え、よい指導者の資質、そのために必要なことを考えている途中。ある受講生がふと疑問を投げかけました。
「今、考えている指導者って部活のことを思い浮かべてるなあ。部活の指導者って先生で、先生が指導者ってこと?」
多くの場合、日中授業を教えている学校の先生はその間、「教育者」です。が、放課後部活の時間になると、同じ学校の「教育者」(先生)が討論した受講生の意識下では「指導者」になるのです。たぶん、現役の中学生、高校生も同じ感覚を持っているでしょう。同じ先生が教育者と指導者になる?生徒の意識にスイッチが入るのはなぜでしょうか。何の要因で先生が教育者から指導者に変わるのでしょうか。
ここで、少し用語の定義を引用してみます。ここでは、一つの辞書(大辞林)に限定したいと思います。
「教育」
◇ 他人に対して意図的な働きかけを行うことによって,その人を望ましい方向へ変化させること。広義には,人間形成に作用するすべての精神的影響をいう。その活動が行われる場により,家庭教育・学校教育・社会教育に大別される。
「教育者」
◇ 教育に携わる人(大辞林)。
「指導」
◇ ある意図された方向に教え導くこと。
◇ 柔道で,選手が禁止事項を犯したとき,審判員から受ける宣告の一。禁止事項のごく軽い犯し方をしたもの。
「指導者」
指導者に関する定義は、上記の辞書には載っていません。実用日本語表現辞典では以下のように説明されています。
◇教え導く者。指導する者。教育やスポーツ、芸道などの他に、政治、経営、宗教などについても用いられる。コーチ、あるいはリーダー(実用日本語表現辞典)。
教育は、人を望ましい方向へ変化させる。これは導くと言い換えることができます。指導は、ある意図された方向に教え導く。この場合、決してマイナス、ネガティブの方向へ意図することはありません。従って、やはりプラスの方向へ導くと言えます。そうなると「教育と指導」「教育者と指導者」はどう違うのでしょうか。皆さんの定義はいかがですか?こういうことも念頭に置きつつ指導実習を進めています。指導者には「思考する力」が必要であることを受講生と共に検証していきたいと思います。【A】
