2015.02.26
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2015.02.25
学び舎と恩師
昨日は、教授会の時間まで、研究の相談も兼ねて
古巣である京大の指導教官を訪ねておりました。
ただ、研究の話だけでなく、
学部生のときも、大学院生のときも、
私の悩んでいるところをさりげない一言で指摘してくださる先生で、
例に漏れず、昨日も一番今考えているところ、悩んでいる話題へと
自然に会話が流れて行きました。
いつまでも恩師は偉大な存在で、こちらの心をよく見通してくださっています。
大変ありがたいことです。
そして、キャンパスを歩いていて見えてくる懐かしい風景は
昔の色々な学びや思い、悩みを一気に思い出させますね。
ちょうど国公立は明日が入学試験であることもあって
キャンパスには受験生と親御さんがたくさん歩いていました。
私にもこういう日があったなあと遠い日々に思いを馳せつつ、
その日からの今までの一歩一歩を確認する、よい時間となりました。
また、少しの時間だけ、後輩の学位論文口頭試問の見学もさせていただきました。
その後輩が卒業論文を書いていた頃から知っておりますので、
その成長ぶりに圧倒されていました。
わたしも頑張らないと!とパワーをもらえました。
指導教員の存在、そしてそのメッセージ、また色々な経験とともに記憶に残る学び舎。
どちらも自分にとって大切なものです。
4回生はもうすぐ卒業ですね。
立命館大学、そしてスポーツ健康科学部での学び、BKCの風景。
みなさんの土台としてきっとこれからも位置づいていくと確信しています。
昨日はそんなことに思いを馳せた一日でした。
2015.02.24
問題の作成
受験生の皆さん、体調を万全にして実力を遺憾なく発揮して欲しいと思います。
私も今回心から応援している受験生がいます。
頑張って欲しいと思います。
さて、試験には当然問題が出題されますが、皆さんのなかで、これまで何か問題を作成した人はどれだけおられるでしょうか?
我々教員も、定期テストなどで問題を作成しますが、これがやはり難しいのです。
知識の詰め込みだけでは解けない(思考力が試される)問題や本質を理解していないと解けない問題など、いわゆる良問は作成者の腕の見せ所ですが、裏を返せば作成者は論理的に思考し、対象の本質を理解していないと問題は作成できません。
とあるKY大の教授で、(物理学だったか?)テスト問題に、学生自身に「良問」と「あまりよろしくない問題」を作成させ、それぞれの解答のみならず、どこがどう良くて、どこが悪いのかを指摘させる問題を出されたことを伺いました。
これは問題としての難易度は相当高いですが、問題自体はまさしく良問です。
学生の皆さんは、今後、何かの試験対策をするときに、友達と問題を出し合うのも良いかもしれません。
また、教える過程も同様の効果がありますね。
例えば実験でも、先輩が後輩に指導する過程で、自身の認識不足に気付いたり、疑問が沸き起こって調べて学んだりすることはよくあることだと思います。
私も授業の準備の度に勉強することがあるものです。
さて、スポ健とはあまり関係ないですが(笑)、小学生のドリルとかで出てくる1語を埋めて二字熟語を完成させる問題で、息子に出題するところをヒートアップして夫婦で問題を出し合っていました。。。
まず妻から。。。
いかがでしたか?同じ漢字があると難しくなるのでは?という趣旨です。
それでは私から。。。
③番は、妻は回答できず、答えを聞いて、「今までの人生で殆ど体験していないから出てこない。。。」と。。。(苦笑)
⑤番には③番か④番が入るものとして、そのどちらにも熟語が成立するものを⑥番と⑦番には入れてみて下さい。
さあ、受験生の「合格」を祈願して、最後の出題です。
2015.02.23
福HR君の結婚式
昨日、大学院博士後期課程に在学中で、トレーナーとして活動している福HR君の結婚式と披露宴が、京都の北山でありました。親族、職場関係者、友人に囲まれた和やかで、ふんわりとした雰囲気に包まれた素敵な結婚披露宴でした。
福HR君は、研究者ならびに現場のトレーニングサポートの二足のわらじを履いています。会社の上司より、社内での研究論文を読み込む勉強会でのリーダー的役割と、社内研修における現場へのスポーツ科学導入を一手に引き受けているようです。これからのスポーツ現場の指導者には、科学的エビデンスの活用、科学成果の応用が求められてきます。もちろん、現場での指導力が合わさることが条件です。そのような、サイエンスベースの力をもった、スポーツ指導者、アスレティックトレーナー、ストレングスコーチの輩出に我々も貢献しなければなりません。
福HR君がその代表的な存在になってくれることを期待しています。これからは、家族と力を合わせながら、仕事、研究の両立をさらに進めてくれるでしょう。
<<今週のちょっと、もっと、ほっとな話>>
2/25(水)13時から、アカデミックラウンジで、熊本県立大学の青木朋子先生による、手指の運動制御に関する研究セミナーがあります。非常に優秀な先生で、研究成果も興味深いものです。春休みですが、どなたでも受講可能ですので興味のある方はぜひお越しください。
【忠】
2015.02.22
アメリカ便り (19): GALANA
皆様いかがお過ごしですか。
今週は、またもや寒波がアメリカ東部を襲い、
火曜日にはメリーランド州立大学カレッジパーク校は
雪で休校となりました。
最低気温がマイナス18℃でも十分寒いですが、
風が強いために、体感気温マイナス25℃という数字を見ると
本当に気が遠くなりますね (笑)
そんな寒い中、Generative Approaches to Language
Acquisition North America (GALANA) #6 が、
2/19-2/21 に開催されました。
Generative というのは、「生成文法」と呼ばれる言語理論です。
今回の学会は、生成文法の観点から、第一言語習得・第二言語習得を
捉えることを目的としています。
言語学の世界で著名な先生も発表されましたので、
かなり盛況でした。アメリカの学会は、
日本からだと、授業などもあって、
なかなか参加しにくいですが、こちらにいると
気軽に参加しようという気になるので、
積極的に色々な研究者と交流しています。
それでは、また。失礼いたします。
良い休日を。
敦
<<街でよく見かける英語表現#19>>
学会だと、"Plenary Talk"と呼ばれる発表があります。
学会では色々なセッションが同時並行していますので
なかなか全員が揃うことが難しいのですが、
全員が参加できるように、その時間帯に
そのトークしか行われない発表を
"Plenary Talk" と呼びます。
著名な先生が務められることが多いです。
2015.02.21
企業が持つ魅力と価値
2015.02.20
フィールドの大切さ
2015.02.19
未来のトレーニングを提案する
2015.02.18
国際化とは?
いきなり大きなタイトルを付けてしまいましたが、
学生さんたちは春休みに入り、留学したり海外旅行をする学生も多いなか、
国際化って、果たして外国の方々との交流だけなのでしょうか。
小学校での英語教育が必修化されるという議論でも感じてきたことですが、
ちょっと考えてみたいと思います。
先週も書きましたが、先週は教職課程を履修する学生たちの
沖縄研修に同行、引率してきました。
そこで、ある班と訪れた、「アメラジアンスクール イン オキナワ」で
創設から関わっておられ、ご自身は教育権・学習権保障の研究をされている
琉球大学の野入直美先生にお話を伺いました。
アメラジアン、という言葉は聞きなれない言葉かと思います。
アメリカ人(主に基地関連の軍人)の父と、アジア人(沖縄では主に日本人)の母の間に生まれた子どもたちを指す言葉です。
また、彼らは「ハーフ」という蔑称(基地内学校でも差別を受け、日本の公立校でも差別を受けることが多い)ではなく、
二つの文化を併せ持つ、という意味で「ダブル」と呼ばれ、このアメラジアンスクールでは、こうしたダブルの子どもたちのための教育・学習が創り出されています。
学校見学に際しては、正直私は最初かなり緊張をしておりました。私自身あまり接したことのない子どもたちであり、「ちがう」子どもたち、という視点で見てしまっていたのだと後から気づきます。
けれども、実際に学校である地域センターの一階に足を踏み入れると、「こんにちは、Hello!」と挨拶してくれる子ども、恥ずかしいから先生の後ろに隠れながらもこちらをじっと見ている子ども、深々とお辞儀をしてご挨拶をしてくれる子ども。。。と色々な個性を持つ、「子どもらしい」姿でした。
野入先生のお話は、さらに自分自身のこれまでの凝り固まった考え方・偏見に気づかされるものでした。
とくに、アメラジアンだからといって特別視するのではなく、外国にルーツをもつ子どもという意味では、
在日の児童生徒やブラジルからの子どもたちも一緒なのだということ、
そして、私たちの身近にも、そうした子どもたちが実はたくさんいるということ、
沖縄という遠い地域で学ぶことも大切だが、まずはそうした身近なところに目を向けて見て欲しいということ。
もっとも心に響いたのは、
「国際化、国際化、というけれど、国際化というのは、別に英語が話せるようになる、ということではない。
真の国際化というのは、 自分のお隣にいるかもしれない、外国にルーツをもつ人々、いやそれだけではなくて、自分とちがう文化や『個性』、障害などをもつ人々に、いかに関心を持って、互いに理解しようとしあえるか、ということだと思う」
という言葉でした。
私はこれまで英語教育や国際理解教育、そして平和教育に関心を持ってきたつもりでしたが、
この言葉は、自分自身の考えや行動が、まだまだ真を捉えきれていないということを自分に突きつけるものでした。
また、私自身、子ども時代は、非常に太っていたこともあり、「ふつう」の子どもではないことで色々な思いをもって生きてきたのに、そうしたことも繋げて考えていなかったことを気づかされました。
そして、自分自身は、たとえば学生一人一人に本当に心から関心を持って、彼らの思いや苦しみに寄り添い、理解しようとしているのか・・・いや出来てこなかった、ということを改めて考えます。英語教育や国際理解教育、を語るのに、上辺しか見えていなかったと大きなショックを受けました。
けれども、沖縄研修では、沖縄という自分たちにとって身近ではない場だからこそ、客観的な視点で見やすいということもあります。身近すぎる問題は、身近すぎるからこそ(当たり前のことになってしまって)見えにくいこともあります。今回、沖縄の基地問題、平和問題をはじめ、こうした教育の問題についても、そこで見えてきた論点や課題を、今度は身近な場においてもっと追求していきたいと思いました。
長くなりました。これで終わります。
ma34.
2015.02.17
