2012.09.19
「よい授業」をもとめて
moza先生も書いていらっしゃったように、
来週からいよいよ後期の授業が始まりますね。
夏の間にしたかったこと(いや、しなければならなかったこと)がまだまだ消化しきれていないことには目をつぶり・・・
授業準備もしなくてはいけませんね。
さて。
先日、とある中学校の公開授業研究会に参加してきました。
地域的にやや「しんどい」学校で
そのなかでも、先生方が生徒ひとりひとりと心を通わせようと努力され、
授業にいかに「参加」させるかを、常に考えていらっしゃる様子が印象的でした。
その学校では、いま注目を集めている「学びの共同体」を取り入れていました。
(詳しくは検索してみてください)
子どもたち同士のかかわりあい、学びあいを尊重し、
教師は子どもたちのそうした学びに耳を傾けることをまず大切にします。
一見、授業中につぶやいたり、隣同士やグループ内で何気ない話をしていたり、
「がやがや」しているように感じますが
よくよく聞いてみると、「ここ、なんでこうなってんねやろ?」「教えて?なんでなん?」といった
聞きあい、学びあいが起こっているのでした。
教師も、声を張り上げたり、教室を常に静かにさせようと頑張る姿はなく、
むしろ、静かなトーンで、語りかけるように話されていて
一斉授業のような形式のときも、一人ひとりと対話するように説明を行っていました。
大学の授業でも、小中高の授業でも、
熱心に(みえる)、ノートをたくさん書き(黒板をうつしているだけかも)、ワークシートもきれいに埋めている学生・生徒を「ちゃんと学んでいる」と錯覚しがちですが
(もちろん、熱心にしっかり学んでいる学生・生徒も多くいるのですが)
はたして本当に、「頭を働かせて」「考えて」いるのだろうか。
逆に、がやがやしていても、それは集中していないのではなくて
しっかり意見をもち、交流させるなかで学びを深めている、そういう時間があるのではないか・・・
むしろ、そういう時間や機会を作り出すことが、教師に求められているのだと思います。
そのためには、学びあいができる「場」と、魅力ある「教材」が必要なのだと改めて感じます。
ただのおしゃべりになってしまわないように、そこに教師の指導性があらわれるのです。
・・・と書きながら、それが難しいのですね。。。
正直にいうと、
「よい授業」とは?という問いについて、最近、実はよくわからなくなってしまっています。
勉強をしたり、授業を見れば見るほど、よくわからなくなっています。
(昔、院生のときは聞きかじった『理論』で武装をして、分かったつもりになっていたのです)
けれども、「よい授業とは?」という問いをこれからも追い求めていくなかで
少しずつ本質が見えてくるように、さらに勉強しつづけたいと思います。
そうすることでしか、この「スランプ」からは抜け出せないのではないかと思うのです。。。
後期の授業でも、ぜひ皆さんの「良い授業とは?」への意見を教えてくださいね。
ma34.
