我が国の様々な地域には、世界に誇れる祭りが数多く存在します。
青森のねぶた祭り、郡上八幡の郡上おどり、岸和田のだんじり祭り、京都の祇園祭、徳島の阿波踊り、また博多の祇園山笠など、そのルーツや形態、また規模や継承は各の地域によって異なりますが、日本を代表する祭りや郷土芸能が日本国内に数多く存在します。
祭りのあるまち...
前回、「祭りのあるまち...祇園祭」の時は、結局、十分なブログがアップできませんでしたので(笑)、今回は、力まず、"祭りのあるまち..."第2弾をお送りします。
今回は、私が京都の次に長く住み、私を育ててくれたまち、徳島の阿波踊りをご紹介します。
現在、阿波踊りは、8月12日から8月15日までのお盆期間中に「観光事業」の一環として開催され、徳島市観光協会に設置される阿波踊り実行委員会の調べによれば、踊り子と見物人とを合わせて、4日間で約140万人もの人出によって、徳島市内中心部を熱狂の渦に巻き込む祭りです。
そもそも阿波踊りは、約400年もの歴史を誇り、日本三大盆踊りの1つにも数えられる全国的にも有名な郷土芸能です。阿波踊りの起源は、「精霊踊り説」「築城落城説」「収穫感謝説」「風流踊り説」「黒潮伝播説」「ええじゃないか説」といった6つの説が唱えられているようです(中村, 1996)。
先ほど、阿波踊りは、「観光事業の一環として...」と書き記しましたが、そもそも阿波踊りは、日本三大盆踊りとして位置づけられるように、死者の霊を慰める盆踊りとしての意味合いが強い伝統芸能です。
神戸在駐のポルトガル領事の職を捨てて、若くして亡くした愛妻「オヨネ」さんの生まれ育ったまち、徳島に移住し、晩年を過ごしたポルトガル人作家のモラエス(1854年~1929年)さんは、大正時代であった1916年に母国で「徳島の盆踊り」という本を出版しています。
その盆踊りとは、現在の阿波踊りのことを指しています。つまり、モラエスさんが記した書に込められた意味は、亡くなったオヨネさんを慕う気持ちの表れであり、またその霊を慰めるための盆踊りとして、母国に徳島の盆踊りという伝統芸能を紹介したものといえるでしょう。
8月13日付けの徳島新聞のコラム「鳴潮」では、『徳島の盆踊りが阿波踊りと呼ばれるようになったのは昭和初期。芸能研究家の林鼓浪(ころう)が名付け親とされる。観光化の狙いは当たった反面、盆踊りとしての意識が薄れたことは否めない。』と触れられているように、約140万人が熱狂するこの祭りは、確かに行き過ぎと思われる面もあります。
4日間で徳島市内に25万人の人口の5倍以上もの人出が詰めかけると、商店街、屋台、飲食店などにもたらされる経済効果は、当然大きく、中心市街地活性化にも一躍を買うことは間違いありませんが、そのゴミの量は半端ではありません。この数年間は、JTがサポートし、祭りが行われる市内中心部でゴミ袋の配布や清掃活動が実施されています。
また阿波踊りのお囃子は、横笛、大小様々な太鼓や鼓、三味線、そして鉦によって、すばらしいハーモニーが奏でられます。ところが、有名連と呼ばれる技術的に優れた同好の人々で形成される集団の中には、鉦と太鼓のみで、地響きがするぐらいの大きな音と男踊りのみで演舞をウリにし、阿波踊りの本質から一線を画するような感じにも受け取れるような連も存在します。
さらには...
阿波踊りでも学生が形成する連は、「盆踊り」という意味合いとは、ほど遠く、横笛や三味線といった特殊な技術が求められる鳴り物を無視して、ドンチャン騒ぎをするためだけに、「ホイッスル」を口にくわえて、踊りに出かける輩も存在します。博多の祇園山笠でも同様の傾向を目にして、本当に残念な気持ちになりました。彼らの頭には、文化や伝統芸能を理解するという発想どころか、盆踊りとしての阿波踊りの意味合いなど知るよしもないという感じです。
その一方で、徳島に訪れる観光客が阿波踊りのお囃子に引き寄せられて、見知らぬもの同士が、場の雰囲気に同化し、即興の"にわか連"という群衆や集団を形成し、踊り始めます。踊りに興じる姿や県内外の人々が交流し、踊りの渦へと人々が巻き込まれていく光景を目にすると、阿波踊りという伝統芸能の持つ魅力と、我々人間に流れる潜在的な文化享受能力のすごさを感じる知ることができます。
また私が徳島に住んでいて、本当によかったと感じる光景があります。
ゴールデンウィークを過ぎ、6月に入れば、徳島城公園、助任川沿い、藍場浜公園、吉野川の河川敷...まちのあちらこちらで、阿波踊りの練習をする光景を目にすることができます。
忙しい仕事の合間を縫って、踊りの基本動作や鳴り物のリズムやトーン、また踊りと鳴り物とのバランスなど、タオルを首に掛け、ジャージ姿や作業着のまま、真剣なまなざしで踊りの練習に向き合う人たち...。
先ほど述べたような、盆踊りとしての阿波踊りの意味合い、また400年もの歴史を積み重ねてきた阿波踊りという伝統芸能を保全しようとする気持ちが、これらの人たちに、どれほどあるかどうかは、別にして、彼ら彼女らが地域文化に対峙する姿は、大変美しく、その姿に私はいつも目を奪われます。まさしく、これぞ、「祭りのあるまち...」です。
祭り当日の華やかな雰囲気もいいのですが、徳島に訪れる方は、ぜひ、祭り前にまちのあちらこちらでみられる"粋な"光景を見ていただければ、徳島というまちの魅力をより一層、感じ取っていただけると思います。
阿波踊りが現在の8月12日から15日に開催されるようになったのは、1975年頃とのことです。それ以前は、その期間で行われることはほとんどなく、8月初旬、下旬、また9月に入ってから行われていたこともあったようです。
徳島にずっと在住されている私の親しい方に聞けば、「阿波踊りが終わったら、夏も終わり...」というように、阿波踊りは、先祖の霊を弔い、夏の終わりを告げるものとしての印象が強いということでした。
阿波踊りが終わった翌日の8月16日には、京都で先祖の霊をあの世へと送り届ける"五山送り火"が行われます。